視覚対象としての君主

今日は、ベルリンを散策していました。昔の離宮であるシャルロッテンブルク宮殿を訪れたんですが、これがなかなかで、結局4時間も居てしまいました。ご他聞に洩れず、ここも第二次大戦の被害が相当あったようですが、残るところは残っており、それなりの見ごたえでした。
ところで、宮殿の前に広大な庭園があり、その中にドイツ皇帝家の墓所があるんですね。とはいえ、総合的なものでは無く、フリードリヒーウィルヘルム3世および初代ドイツ皇帝のウイルヘルム1世およびその后のみの小規模なものですが。それにしても、気になったのは、ヨーロッパ王家の墓所の常として、それらの人々の棺が見えるところに安置されていることです。
思い出すだけでも、ウィーンのカプツィーナー教会の地下には、マリア・テレジアとかフランツ・ヨーゼフなんていうビッグネームの棺が目の前にありますし、ポーランドのクラコフでは諸英雄に混じってつい最近飛行機事故で無くなったカチンスキ大統領の大理石の棺があったりします。中でも生々しかったのは、スペインはグラナダには、スペインを統一したフェルディナントとイサベルの遺骸が包帯で巻かれた状態で見ることができたことです。これが墓石の下であれば、まだ我々の感覚に合うんですが。

ここで思い出すのは、絶対君主たちの「公開の食事」という習慣です。これは、君主が宮殿の1室で食事をする風景を一般の民衆がぞろぞろと見に来るというものなんですが、あの太陽王ルイ14世にして、週1回は公開の食事を取り、それは死の1週間前まで続いたとか。それだけ民衆に近かったという解釈をしたくなりますが、当時の状況からそれはありえませんね。むしろ、視覚化されることによる権力の補強ではないかと思います。というのは、ヨーロッパの宮殿を回ると、実に多くの肖像画掲示されていることに驚きます。ことに、有名どころの王侯であれば、いろいろな場所で出会うことが出来ます。これって、視覚に訴えることによる権力の誇示と考える他はないんじゃないでしょうか。
わが国の場合、肖像が伝えられていない権力者が非常に多いという印象があります。あっても、後世のもので、同時代でのものは結構少ない。例えば、鎌倉執権の北条氏なんか、時宗以外は肖像を見たことがないでしょう。まあ、いわゆる三英傑なんかは例外的に図版が多いですが、江戸時代の将軍でも、一般に流布していた肖像なんて無かったでしょうね。

そう考えると、ヨーロッパと日本の権力のありようって、こうした面からも相当異なったものであると言うことが言えそうです。何より、死んだ後も、そうした視覚にさらされることが宿命とされる権力って、なかなか因果なものですね。

面白いのは、明治以後の天皇制は、ヨーロッパ的な権力のありようを模索したと言えるところです。維新後、早速明治天皇は全国を回っていますし、「ご真影」なんて、その最たるものですね。天皇・皇后の肖像写真に最敬礼なんて、それまでの日本の伝統にはなかったことですから。そうした点からも、いわゆる天皇制の人工性が伺えます。まあ、今でも視覚とのかかわりは強いんですが、時代のしからしめるところであって、相当ナチュラルなものになっているとは思います。筆者、多摩御陵にも参拝したことがありますが、押し付けがましいところがなくて、いい感じでしたよ。