昭和に殉ず

筆者、ヨーロッパ在住ながら、いくつか日本の雑誌を購読しています。その一つが「文藝春秋」なんですが、最近違和感が強くなって来ていまして。
というのは、紙面の大半が昭和20年代以前生まれを対象とした内容になっているからなんです。例えば10月号の特集は「真相 未解決事件35」と題して、最近の事件もあるものの、未だに三億円事件とか下山事件ですし、11月号は「医療の常識を疑え」と「決定!永遠の小悪魔女優ベスト10」で、後者は加賀まりことか若尾文子ですからね。また、戦争ものも欠かせず、10月号からは「九十歳の兵士たち」と題した体験談の連載が始まっています。もちろん、現代の問題を扱った記事も多いんですが、この構成にはいささか辟易してしまいます。

このような行き方がいつまで続くものなのか。もちろん、続かないでしょう。しかし、雑誌を会社の商品ポートフォリオの一つと考えれば、「金のなる木」として、最大限活用していくことが最善手となりえます。まあ、総合雑誌の中ではすでに「現代」が休刊し、「中央公論」も昔日の面影をすっかり失った今、ひとり「文藝春秋」のみが頑張っており、というか残存者利益を独占していると言う意味では、理にかなったマーケティングとも言えそうです。

しかし、同誌の、極端な昭和シフトを見ていると、なにやら経済合理性のみというよりも、あたかも「昭和に殉ずる」かのような姿勢を感じないではありません。思えば、明治とか大正って、ひとくくりのイメージがありますが、昭和については、時間的な長さもさることながら、戦前・戦中・戦後・高度成長・安定成長・バブルと、実にさまざまな要素を踏んでいると言う意味では、空前絶後の奥行きがありますね。ですから、いくらでも料理の仕方がありますし、それに殉じてもいいと思わせるものがあります。

ただ、これからの日本の課題は、この強力な「昭和」からの脱却にあるのではとも思われます。しかし、時間とエネルギーがかかりそうな課題ではありますね。