「坂の上の雲」に思う

NHKの「坂の上の雲」、なかなかの力作で筆者も大いに楽しんでいます。丁寧な造りで、かつ役者さんたちも頑張っていますね。個人的には、正岡律役の菅野美穂が健気で一番のはまり役のように感じています。

それはさておき、ここに来て司馬史観への批判が散見されるようになっています。特に、昭和の統帥権を背景とした軍人の跋扈と理想像としての明治期の対比が単純すぎるという点が攻撃されているんですが、これについて少し考えてみたいと思います。

まず、言いたいのは、日露戦争開始前の指導層のある種の悲壮感と言うか純粋な危機感は疑い得ないと思うんですね。とにかく、ロシアの南下を防ぐと言う限定された目標であっても達成の確率はあまり高くないと思われたはずなんで、こうした中で開戦を決意した指導層の決意は相当なものがあったろうと想像します。
問題は、連戦連勝の中で、軍、そして国民の間に急速に野望が膨らんでいったことです。後者の典型的な発露は日比谷焼き討ち事件で、賠償金を取れないことに怒った民衆が教会とか新聞社などを襲ったんですが、ここには夜郎自大になった当時の国民の姿が浮き彫りになっていますね。この点については、司馬遼太郎も後の暗い時代の原点として特筆しています。まあ、国民自身の責任もさることながら、真相を国民に伝えない日本の指導層の宿亜が早くも現れたと見るべきかもしれません。
軍人の例では、これも司馬が書いていることですが、正式な日露戦史が史料的に無価値で、かつ編者が左遷されたとのこと。要するに、将星たちが自分の手柄を多く書かせようとし、また失敗を隠蔽しようとし、あげくのはてに資料はぼろぼろで編者は不興を買ったということですね。どうも、明治期の軍人たちもその底は浅いようです。
しかし、底の浅さと言うよりも、日露戦争自体がもう限界まで背伸びしていて、その後の立ち居振る舞いまで構っていられなかったという言い方の方が正確のような気がします。一つには日露戦争自体の苛酷さがありますし、もう一つは、それまでの動きが所詮借り物だった部分が大きいためではないかと思うんですね。例えば義和団事件では日本軍の軍紀が最も厳正だったとされていますが、これも「一等国」として見られたいという一心からで、内発的な感じがしませんね。ですから、ロシアに勝ったことで、一挙に本音がむき出しになったとも言えると思います。

以上まとめると、司馬が言うほど明治の日本人は純粋ではなかったということです。いや、純粋に頑張ったけれど、うまくいった瞬間に馬脚を現したというところでしょうか。まあ、それにしても明治期の日本人の海外文化と技術の咀嚼能力の凄さは疑いえませんが。