マニアックフィンランド紀行(2日目)

例の朝食を摂った後、雪の中出発。
まずは、建築史博物館に。ほとんど貸し切り状態。小ぢんまりしているものの、なかなか見ごたえある展示。全体的に、日本で言えば丹下健三あたりの時代に近い感じ。時代で言えば、1960年あたりか。
次に、隣のデザイン博物館に、残念ながら展示の準備中で、1階のみの展示でしたが、結構堪能しました。やはりセンスが良いですね。特に生活用品など工業デザインが優れているようです。
そこから、さらに進んで各国大使館が集まる住宅街を抜ける。一番目立つのがロシア大使館だったのが何とも。
目指すは第二次大戦時の実質的な国の指導者だったマンネルへイム元帥の博物館(元邸宅)だったんですが、ガイドブックの地図が間違っていて元温泉だったレストランに行ってしまったり、隣の美術館が閉まっていたり、結構深い雪の中、時々くるぶしまで雪に埋まりながらやっとたどりつきました。大して大きな家でなかったので分からず、雪かきをしていたおじさんに聞いてみたら、目の前の家を示されていささかびっくり。ちなみに、フィンランド、英語が本当にどこでも通じますし、非常に聞きやすいんです。
マンネルへイム博物館を入るとさして大きくもない待合室というか玄関スペースに5人くらい待っている。こんな大雪の中、当然貸し切りかと思っていましたが。
ところで、このマンネルへイム元帥、第一次大戦まではロシア軍の高級軍人で(フィンランドがロシアの一部だったので当然ですね)、大戦後の独立時には有力者の一人だったんですが、時の政府から警戒されたりして一時は隠遁同様になったそうね。しかし、戦雲が濃くなるにつれて軍の強化のため引っ張り出され、大戦中前後のソ連との一連の戦い(冬戦争・継続戦争)では大軍相手に善戦し、大戦末期からしばらくは大統領職も務めて独立維持に力を尽くすなど、今でも国民の敬愛を集める人物です。
しかし、そうした経歴は知っていたものの、さすがに記念館となるといろいろ発見がありましたね。まず、彼の家系がドイツ出身であったこと。そりゃ、マンネルへイムなんて、典型的なドイツ名ですもんね。ちなみに、奥さんはロシア人だそうね。それから、若いときは相当なやんちゃで、内申書が悪く、いろいろな学校を落ちまくったこと。で、最後の望みでもないでしょうが、ロシアの士官学校に滑り込んだこと(そういえば、ビスマルクも若いときは相当はちゃめちゃでした。まあ、組織人じゃないんでしょう)。
また、日露戦争にも従軍し、秋山支隊とも交戦していること。その後、中央アジアの地理の把握の重要性から、フランスのぺリオ探検隊にロシア代表として加わり、ユーラシア横断をしています(その一環で日本にも来たようです)。ぺリオ探検隊といえば敦煌の文書を大量に持ち出したとして今でも中国から三大盗賊として非難されている、それだけ学術的な貢献も高い探検行で、ここに参加していたとは知りませんでした。ちなみに、後の2団は、敦煌を発見したオーレル・スタイン隊と日本の大谷光瑞隊のことです。マンネルへイムはスタインとも交流があったようですし、フィンランド中央アジア学に大きく貢献したとか。そりゃそうでしょうね、そんな情報、彼以外持って来れませんから。ちなみに大谷光瑞西本願寺の大谷家の元法主ですが、どうも万能の天才でもあったようで、石炭液化の深遠な知識とか食に関する著書を出すなど逸話に事欠きませんが、長くなるのでこれ以上は別な機会に。
そこから雪の中を港に。港内には大きなフェリー船が何隻も止まっている。岩壁沿いに市場の建物があり、せっかく海沿いなのでスシレストランに入る。レストランと言っても屋台に毛の生えたようなものでしたが、味の方はまあまあ。ちなみにシェフの服を着た女性が握っていましたね。
その後、昨日閉まっていたウスペンスキー寺院に。波止場を見下ろす小高い丘の上にいかにもというロシア正教寺院が建っているのは、ロシア占領時代の人々はどんな思いで見ていたんでしょうね。
そこから市の中心を抜けて現代美術館(通称キアズマ)に。建物の外観が超モダンでちょっと期待しましたが、やや不十分な展示内容。しかし、展示の一環として数年前のリトアニアでのリトアニア系とロシア系住民の衝突のフィルムが流されていて、日本ではほとんど報道されていなかった事実が非常に勉強になりました。
もうすっかり夕闇の中、隣の郵便局に。2階がいろいろな切手などを売っていると言う触れ込みでしたが、完全にファンシーショップでしたね。ちなみにここの売りはムーミン。原作者のトーべ・ヤンソンフィンランド人なんですね。
この日の最後は個人コレクションをもとにしたというアモス・アンダーソン美術館に。実は前日通りかかったんですが、結構遅くまでやってそうなのと画廊のような小さな間口でちょっと逡巡していたんですが、入って見るとこれが5階建ての堂々としたものでびっくり。かつ、企画展でやっていた画家の絵が非常に高いレベルで、改めてフィンランド人の美術センスを認識した次第です。
夕食はなぜかネパール料理。