マニアックウィーン紀行(第三日目)

昨日から天気が良いせいか、急に暑くなる。
朝一番は、フロイト博物館に。フロイトナチスに追われるまで住んでいたアパートで、診察室も兼ねていたところ。町並みの中に何気なく入口が。中学生から愛読していた「心の話」という本の半分くらいがフロイトの評伝で、このアパートの入口や内部の写真なども載っていた関係で、実物にちょっと感激。
そこから、オーストリア国立銀行の脇を通って、病理・解剖学博物館へ。ウィーン大学病院の敷地内にある円筒形の建物だが、18世紀末に建てられ精神病棟として使われていて、今は病理学資料、つまり摘出臓器とか奇形胎児などの資料館になっている。まあ、ちょっと怖いもの見たさの部分があるが、ひと昔前の医学の雰囲気を伝えていて興味深い。それにしても、水頭症の子供の全身骨格標本があったが、頭蓋骨がビーチボールのように大きく、衝撃を受ける。考えてみると、我ながらマニアックだと思うが、「地球の歩き方」には、この他にも犯罪博物館とかベーカリー博物館といった面白そうな場所がまだまだ載っている。ウィーンもなかなか奥が深い。
そこからリングに戻り、市庁舎・ブルク劇場・国会議事堂などの広壮な建物を冷やかす。それにしても、この辺は観光客であふれている。3つとも白亜の巨大な建物だが、以前来たときの記憶はまるでなし。こんなに大きかったとは。
近くのバス停で時間を確認してから、市電に乗ってオペラ座の近くのラーメン屋を訪ねる。しかし、ガイドブックの地図には名前のみで解説が無く、何となく不安。行ってみると案の定つぶれていた。丁度はす向かいに中華料理屋があったので、麺類を食べる。この辺はオフィス街のようだが、休日にもかかわらずここだけ店を開けていて、中国人は本当によく働くと思う。
市電で先ほどの停留所に戻ったが、まだ時間があるので自然史博物館に。有名な美術史博物館と対になっている宮殿のような豪華な建物。マリア・テレジアの夫だった神聖ローマ皇帝フランツ1世のコレクションが元だそうだが、とにかく物凄い数の鉱物。彼にこんな趣味があったとは。ちなみに、このフランツ1世、偉大な妻のただのお飾りと思われているがなかなかどうして。政治上のアドバイザーだっただけでなく、利殖の才があって国庫を大いに潤したとか。何よりも夫婦仲が良く、良すぎて子供を16人も儲け、それがマリア・テレジアのハンディになったとも評されている。
しかし、一番のお目当ては、「ヴィレンドルフのヴィーナス」。旧石器時代の一種の土偶だが、小学生の頃から眺めていた美術図鑑の西洋編の始めに出てくるもので、実際に見るとやはり感慨あり。しかし、本当に小さい。まあ、人の握りこぶしくらいか。
後は一般の科学博物館と同じく、剥製やアルコール漬けの展示だが、本当にあきれるほど広く、展示アイテムも膨大な数。バスの時間があるので駆け足で眺める。しかし、時間があったところでどうなっただろうか。
停留所に戻りバスに飛び乗って郊外に向け約20分。今回の旅のお目当ての一つのアム・シュタインホーフ教会に。ここは、広い病院のキャンパスの中の丘の上にある教会だが、オットー・ヴァグナーの19世紀末建築の一つの極致とも言われている。ただ、ガイドブックによると土曜日の15時からのガイドツアーでしか公開しないらしい。バスは大込みだが、終点の一つ前の目的の停留所で大半の人が降りる。皆目的地は一緒というわけ。病院はなだらかな斜面に建物が点在していて、のんびりした雰囲気(後でよくよくガイドブックを見ると精神病院ということでいささかびっくり)。
丘を登っていくと、異様な雰囲気の建物が。これがアム・シュタインホーフ教会で、外観も内部も奇抜そのもの。しかし、見学はガイドツアーではなく、ドイツ語のプレゼンが小一時間続くだけのようで、さすがに途中で出てしまった。その代わり、帰りのバスは空いていて楽をさせてもらった。市の中心に戻る。
まだまだ時間があるので、ミュージアムクォーターにあるレオポルド美術館に。ミュージアムクォーターというのは、旧王宮の厩舎だったところに10以上の美術館やイベント会場などが集まったところ。建物群に囲まれた中庭にはやはり物凄い数の人が。しかし雰囲気としては観光客というよりも市民が多い感じ。
レオポルド美術館は、昨日訪ねたヴェルデベーレ上宮と同じくウィーン世紀末美術中心のコレクション。ただ、20世紀に入ってからの画家の作品も多く、勉強になる。それにしても、20世紀に入ると世界中の美術が同じような傾向になるのを改めて感じる。
あと、ゲルストゥルという20世紀初め頃の夭折画家の作品が多数あったが、評伝を読んでいて衝撃を受ける。彼は、シェーンベルク(十二音音楽有名ですね)家と親しく、作曲家の有名な肖像を描いてもいる。しかし、そのうちにシェーンベルクの奥さんのマチルデと深い仲になり、ついには駆け落ちをしてしまうものの、シェーンベルクの弟子のアルバン・ベルクなどが奔走・説得し、マチルデは家に戻る。そして、ゲルストゥルは25歳で命を絶ったとのこと。驚いたのは、レコードジャケットなどで見知っていたシェーンベルク肖像画にそんな来歴があったことや、音楽史の巨匠たちが苦しんだり奔走したりしていたこと。まあ、知っている人には常識なのかも知れないが、まだまだ不勉強であることを自覚。
時間を気にしながら、王宮の一角にあるアウグスティーナー教会へ。案外小さい。ここは王族の結婚式が行われてきたことで有名な宮廷教会だが、同時に王族たちの心臓を安置している場所でもある。何でも、ハプスブルク家の慣習では、遺骸はカプツィーナー教会に、心臓はアウグスティーナー教会に、内臓はシュテファン寺院に安置するのだそうな。心臓自体は地下にあって見ることは出来ないが、教会の一角に、地下に降りて行く人々のレリーフがある。こういうところで結婚式というのもどんなものなのか。まあ、中世以来の意識である「メメント・モリ(死を意識せよ)」ということか。
地下鉄を乗り継いで、フォルクスオーパーに。かなり町外れ。地下鉄を降りるとチベットレストランなるものがあって驚かされる。
ここフォルクスオーパーは、シュターツオーパー(国立オペラ座)がきらびやかな装飾に埋まっているのに比べ、「市民オペラ座」というだけあって、外装・内装ともほんとに簡素。まるで映画館のよう。
演目はオッフェンバックの「天国と地獄」。まあ、オペラといっても完全なコミックオペラで、たびたび笑いが起こる。ドイツ語なので一人笑えないのがちょっと残念。実は、天井近くに字幕が出るのだが、これが実にどうも。オペラ自体はフランス語なので、歌の間はドイツ語字幕が出るが、結構素のセリフが多く、これはドイツ語なので、その間は英語の字幕になる。ところが、これが大変な手抜きで、「今、こんなことを話しています」という程度の紹介。まあ、こんなものか。プログラムも買ってみたが、ドイツ語主体で、最後の方に英語と日本語であらすじが載っている。もっとも、出演者を知るために買ったのでそれほどがっかりはしなかったが。ちなみに、ヨーロッパに来るときに、「オペラガイド130選」というあらすじ集を買い込んできており、どこに聴きに行くにも手放せない。それにしても、写真がふんだんに入っている豪華本なのにたった1400円であるのにいつも感心する。なお、この本によると、オッフェンバックは最近日本以外で再評価されているそうな。確かに聴きやすく、かつしっかりした音楽ではある。
オペラ劇場では通常、幕間に飲み物や軽食を売っているものだが、フォルクスオーパーは極めて貧弱でちょっとがっかり。帰りにホテル近くで食べるところを探したが、さすがに10時を回るとファストフード以外は飲み屋ばかり。結局、チャイニーズのテイクアウトがあったので、ここで仕入れることに。それにしても、ウィーンに来てからチャイニーズばかり食べている。