演劇について

筆者、昔少し演劇をやっていたことがあります。まあ、学生演劇ですのでその限りでの感想として読んでください。

河竹登志夫氏の「演劇概論」に、人間は現実の真似を演じ、またそれを見ることを喜ぶ性質がある、という記述があったと記憶しています(何しろ、ほとんどの蔵書を日本に置いてきているので、記憶に頼るしかないんです)。確かにそうでしょうね。別に本格的な演劇でなくても、日常の中で、人間、何がしか「演じている」部分がありますし、それを喜んでいる部分があります(苦しみの部分もあるでしょうが)。

ただ、こと舞台演劇について言うと、いろいろ別な要素が加わってきます。

筆者が演劇に目覚めたのは、高校時代でした。上級生が別役実の「スパイものがたり」をやっており、学生としてはかなりのレベルのあったと思います。しかし、一番思ったのは、その素晴らしさよりも、この瞬間が一回限りであると言うことでした。映画や、ビデオ導入後のテレビと違い、演劇はあくまでも一回限りです。時々テレビでも舞台中継がありますが、とても雰囲気を伝えているようには思えませんね。
要するに、一回限りのこの瞬間にエネルギーを集中する、いわば一期一会的な喜び、悲しみを感じてしまったわけですよ。考えてみると、人間の悲しみのもとは、すべてこの不可逆性にあるのではと実はずっと思っています。これについてはまた別途。

で、高校時代にちょっとと、大学で数年、どっぷりと言うほどではありませんが演劇をやっていました。どっぷりではなかったのは、同時に合唱をやっていたせいですが、それについてもまたいつか書きたいと思います。

でも、演劇って、本当に魔力があるんですよ。合唱との対比で言うと、演劇よやっていると本当にいろいろな人たちと出会います。その昔、役者は河原乞食といわれたそうですが、当時、フリーターみたいな人ってかなりの部分、役者の卵だったはずです。現在はそうじゃないでしょうが。合唱は、やっぱりエスタブリッシュメントとまでは言いませんが、やはり常識人が多かったですね。
ですから、合唱バカを自称する人たちも、ほとんどの場合、普通の社会生活を営んでいますが、演劇については、身を持ち崩す、といって悪ければとことんのめりこんでしまった人たちを何人でも知っています。

魔力の一つは、表現度にあるかもしれません。音楽、特にクラシックの場合は、どうしてもアドリブの部分は少ないですね。もちろん、本番の持つ力は演劇に負けず劣らずありますが、役者については、本番は好き勝手やれます。演出家は事前の指導だけなので、指揮者と違って本番のコントロール力はゼロです。それだけに、役者は怖いですよ。逆に、非常な高揚感がありますね。

ですから、芝居の場合の打ち上げの凄いこと!こういう部分が芝居の魅力かつ魔力なんでしょうね。