演劇について(その3)

我ながらしつこいと思いますが。三たび。

俳優の価値観は基本的には、主役を張ることです。こう言って差支えがあるのならば、せめて「せりふの多い役」をやることです。ですから、劇団の配役発表は緊張の一瞬ですよね。期待がかなえられるかに加え、自分への評価が公になるわけですから。大体、これに普段からの人間関係や、男女の惚れたはれたまで関係してくるわけですので余計ややこしい。

でも、俳優もよく見ていると二種類ありましてね。とことん俳優に徹したい人と、だんだん演出や脚本、はてはプロデュースまで進みたがる人に分かれるように思います。前者も後者も、いわば仕切りたがりなんでしょうが、前者の場合は演ずるその瞬間瞬間の仕切り、あるいは目立ちたがりにちかいでしょう。それに対し、後者は人を動かし、黒幕的な役割を好む人ということになりますかね。

でも、後者にしてもポジションは限られています。すると、これもぎくしゃくの種ですね。そんなこんなで、劇団って昔から内紛、分裂の歴史をたどることが多いように感じます。でも、これって芝居と言うものの本質にかかわっているので、なかなか難しいでしょうね。
さらに、芝居って、比較的少人数でやれる(極端には一人)ので、なおさら組織が脆弱になりますね。

でも、芝居の場合、外との隔壁が低いようにも感じます。ていうのは、公演の前になると、どこからともなく人が湧いてくるんですね。いろいろなつてで。しかも、結構得体が知れない人も多くて。でも、一人ひとり異才の持ち主でしたね。

結局、合唱の場合、団体への帰属が強く、演劇では「演劇世界」への帰属が優先されて、個々の団体の永続性はあまり問題にならないということなのかも知れません。

思い出したのは、重厚長大産業では、個々の企業へ就職した意識になるのに対し、IT業界では「IT業界」就職という意識で、個々の企業へのこだわりが小さいとも聞きました。まあ、重厚長大産業は、企業を立ち上げるのが非常に大変で参入障壁も高いですからね。ということは、合唱団の伝統を作るのも、そんなに簡単じゃないってことかしらん。