強制収容所というもの(その1)

日本出張やその後のばたばたですっかり更新がお留守になってしまいました。ブロガーとして失格ですね。まあ、無理せず、長続きを目指したいとは思っています。

さて、ヨーロッパに住んでいると、旧ナチス強制収容所を目にする機会が多い。筆者も3箇所ほど回ったことがあります。
一口に強制収容所といっても少しずつ性格が違うようです。大まかに言えば労働力として利用しようとする強制収容所と、殺すことを主目的とした絶滅収容所に大別されます。後者の代表がアウシュビッツですね。

ところがですね。実際にはそう簡単ではないようで。

アウシュビッツの元所長のルドルフ・へス(有名な党首代理とは別人)は、戦後克明な回顧録を残しています。これはこれで検討すべき問題ですが(何しろ実に克明に占領軍に提出しているので。何かに対して仕えずにはいられない人間類型なのでしょうか)。その中で、彼は上司(特にハインリッヒ・ヒムラー)からの命令がふれることに悩まされたと告白しています。要するに、労働力として使え、はたまた抹殺せよと、相矛盾した命令がしょっちゅう来るんですね。アウシュビッツでさえ、それを当て込んで工場が進出しています。また、どの程度かはともかく、病院まであるんです。逆に、労働主体と思われる収容所、例えばグロス・ローゼンなどでも、随分ひどい状況になっています。どうも、収容所というもの、非常に政治的な波の中の産物のようです。というか、ナチス自体のいい加減さ、底の浅さが体現されているように思います。
アウシュビッツの近くに第2アウシュビッツと言われるビルケナウ収容所がありますが、そこに、子供が収容されていた棟があります。中には学校の絵なんかが貼られています。でも、ちょっと考えると、子供は貨車が着くやいなや選別されてガス室で殺されたのではなかったか。実は、戦争が敗色濃厚になると、保身のためでしょうね、子供を残すようになったんだと。自分たちでも悪いことをしているんだという自覚があったというか、いやいやだったんでしょうね。それを考えると、すべての人間にとってのこの世の地獄という気がしてしまいます。

収容所というもの、収容者からの生還の記録は沢山書かれていますが、いろいろな意味で人間を考えさせる存在であり続けると感じます。