政治家の発言に思う

このブログですが、基本的に政治的なことは書くまいと思っているのですが、最近ある政治家の発言には思うところが多々あったので書いてみます。

氏の発言には、「単一民族」「成田空港のごね得〜戦後教育の問題点」「学力と情実と日教組」の3点があるようですね。

個人的には、最初の「単一民族」は、アイヌその他の人たちから見たら気を悪くするのは理解できますが、世界的に見ればまあ単一民族には近いでしょうね。少なくとも、気分としては。ですから、政治家としては軽率ですが、わからんでもない。

次の成田空港論ですが、2つの意味で看過できません。
まず、成田空港の反対派ですが、実際に交渉に当たったお役人さんに言わせると、そもそもあそこに空港を作ろうとしたこと自体が間違っているとのこと。つまり、あそこは戦後、勧農政策にしたがって入植し、やっとの思いで生産にこぎつけたところなんだそうで、そこへいきなり土地収用ではやりきれないのはよくわかると言っていました。こういう一次情報を知ってての発言とは思えません。
また、「戦後教育」ねぇ。未だに「戦後」なんですね、この人には。というか、戦前は良かったんでしょうかね。あるいは、1945年以来の63年を「戦後」としか捉えられないのか?それこそ、この人の受けた「戦後すぐ」教育の底の浅さではないのか?
未だにありますよね、「高度成長期に比べ、現在は」式の議論が。高度経済成長なんか、第一次オイルショックで終わっていますよ。昭和50年代は安定成長が盛んに唱えられていましたね。でも、それ以降も、高度成長の見果てぬ夢だけを追い続けているのが日本じゃないですか。バブルは、その夢が一時的にかなった時期なんでしょう。
とにかく、この点に関しては悪いですが単細胞と言わざるを得ないですね。

さて、「日教組」についてです。新聞によっては、日教組の強さと学力の間の相関の検証をしているところもあるようですが、筆者にとっては、日教組というより教師の世界の閉鎖性が問題ではないかと思います。
とかく、日教組批判は教師の偏向にスポットがあたり、氏の批判もそれを前提にしているようなにおいがありますが、組合やそのイデオロギー(なんか懐かしい響き!)よりも、むしろ、教師の利益共同体的な性格が批判されるべきでしょう。大分の例を見ると、とにかくチェックが全然無い。教師の代表が教師のチェックをしているのではどうしようもないですね。チェックされざる集団は必ず腐敗する典型例ですね。
ですから、氏の批判が、そのような閉鎖性に向けられているとしたら、大いに見るべきものがあるのですが、どうもそのようなレベルではないようですね。

失言が怖いのは、それがその人の本音を表わしていると思われることです。以って他山の石とすべし。