「金融の混乱」に思う

すっかり間が開いてしまいました。例の金融の混乱なども横目で見ながら、毎日ばたばたと日が過ぎていってしまいまして。こちらへは単身で来ているため、日々何かとありますし、週末は日本人同士の付き合いとか現地語の勉強なんかもあって、なかなかブログに時間が割けませんね。
あと、最近の状況をどう考えるか、ちょっと考えていた部分もあります。

まあ、詳しい状況は他のブログでいくらでも書かれているので、いまさらなんですが、少しつづってみますか。

今回の混乱、大きく見るとどういうことなのか。
実体経済というか、下部構造的に言えば、アメリカが一方的に需要とマネーを飲み込む構造に常に脆弱性がつきまとうということのように思います。いや、そうした構造の終焉とまでは言えません。何しろ、それに代わるプロセスを用意できているとはとても思えませんので。デカップリング論についても、BRICSの底の浅さが次第にあらわになっていると感じています。
でも、そもそも構造に非常に無理がかかっているのは事実でしょう。ですから、放って置くとエンジンが止まる。だから、そのエンジンを吹かそうとしたのがサブプライムだったんじゃないでしょうか。

もっと大げさに言うと、環境とかエネルギーの隘路に差し掛かったという見方もできます。昔、ルワンダ紛争ツチ族フツ族の間で大虐殺がおこったことがありましたが、根本的な原因は環境の悪化、旱魃の発生で飢饉が発生したことにあったようです。同じように、たとえば原油の値上がりが資源量のボトルネックを指し示しているという見方も可能です。
でも、実際は違うでしょうね。そもそも、原油の生産量も需要量も把握するのは非常に困難との事。これに対しては、市場が逼迫状況を表わすとの主張がありそうです。しかし、市場って長期的には神の見えざる手が働くと思われますが、短期的には非常に心理的なものです。まして、資源市場は相対的に小さい市場ですから、操作することさえも簡単なんでしょう。
きっと、今後、何回と無く、資源や環境は市況上昇の言い訳として使われるはずです。いままでもそうでしたし。
英会話とかダイエットで繰り返し新商品が出てくるのと一緒ですね。
でも、こと金融の混乱に問題を戻すと、問題の一端は実需に不釣合いな金融資産の蓄積にあるんでしょう。困ったことに、金融資産というもの、膨張を旨としていて止まることができない。養老先生風に言えば、経済の脳化というところでしょうか。

簡単に結論が出る問題ではないんですが、人間の社会というもの、合成の誤謬のかたまりの面があることと、そうした誤謬がいつかは表面化すル性質を持っていることは確かなようです。