ブラッセルにて

先日、仕事でブラッセルに行く機会があり、少し観光をしてきました。
市の中心から少し離れたところに、サンカントネールという公園があり、そこに3つの博物館がありますが、非常に考えさせられました。

最初は、王立軍事歴史博物館。実は筆者は軍事おたく的なところがあり、はじめはとても興味深く見学していました。そのコレクションたるや、軍服や軍人の肖像、刀剣、銃、大砲、戦車、果ては航空機にいたるまで大変なものでした。
しかし、それらを見ていて次第に、その威嚇というか虚勢にだんだん辟易としてきまして。例えば、軍服にしても特に昔の軍装は実用というよりも完全に見栄ですね。で、肖像画ではかなりの部分ひげをたくわえ、多くがいわゆるカイゼルひげです。それは圧倒的な男性原理です。
男性原理という目で見ると、戦車なんかも実用性もさることながら、砲身はほとんど男性器ですよね。いや、妄想をたくましくすれば、大砲もカイゼルひげも刀剣も銃砲も一種の男性器の象徴と見られなくもない。
最近の性科学によれば、女性のよろこびと男性器の大きさには因果関係は無く、巨根願望というのはむしろ他の男性を意識したものだそうですが、戦争というもの、まさにそうした意識を集約したものであるといえそうです。

そうした思いを持ちながら、次の博物館〜オートワールド〜を訪れました。これはその名の通り、典型的な自動車博物館です。草創期の自動車は、まさに馬車にエンジンをつけたものでしたが(ちなみに、現在のボディーとかシャシーなんていう名称ももともと馬車時代の名残です)、次第にクローズドボディーになり、現在に至るわけです。
しかし、やはり見ていて凄いと思うのは第1次大戦後から1950年代くらいまでの車でしょうか。それはもう、迫力ですし、馬力を感じさせる。言い換えれば、完全な男性原理のスタイルですね。いや別に変な出っ張りがあるわけではありませんが、実にマッチョですよ。
これに比べると、今の車、おとなしいですよね。特に、空力とか燃費とか環境とか言い出してから、スタイルが平板になった。もちろん、洗練されています。しかし、車って本当は非常に荒々しいものだと思うんですね。最近はF1まで環境配慮がトレンドだそうですが、それならばF1なんかやめたほうがいい。筆者はある自動車評論家と話していて、ソーラーカーレースの論理矛盾というか相変わらず競争的なところから抜けていないことの問題点を指摘したことがありますが、まさかF1までねぇ。
それはともかく、今、自動車が売れなくなってきており、特に日本ではそれが顕著ですが、ある意味狂気に結びついている自動車というものと環境というものが本質的に相容れない部分が多いように思います。いや、「男性原理」に変わる位置づけを提案し切れていないとも言えるかも知れません。

最後にサンカントネール博物館に行きました。ここは王立美術歴史博物館の中核ということで、古代エジプトギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパ、東洋、中南米などの膨大なコレクションを持っています。
その中で、一番印象的というかショッキングだったのは、中世ヨーロッパの祭壇彫刻でしたね。とにかく、残酷極まりない。人の首を切ったり逆さ吊りにして拷問したり。切った首が地面に転がっていたりする。そもそも、キリストの受難図自体酷いものですが、これはちょっとどうかと思いましたね。聖人の殉教図、あるいは魔女の迫害図なのかもしれませんが、これを祭壇とする神経にはちょっと付いていけません。

先ほどの軍事博物館といい、ここといい、ヨーロッパというものの本質から「死」の問題は切り離せませんね。そうしてみると、江戸の300年近い太平というものの日本人に与えている好影響あるいは世界的価値は我々が考えている以上に大きいように思えてきています。
以上、そんなことを考えながら。