田母神論文の「ちゃちな」感じ

今、お騒がせの田母神論文を読んでみました。
いや、どうも。
筆者、論旨自体をとやかく言うつもりはありません。いろいろな意見がありますし、知らなかった事実も勉強になりました。しかし、どうしようもなく文章が下手ですね。何だか、中学校の読書感想文を読んでいるような気がしてしまいました。要するに、自分で考えていない、というかオリジナルなものがないから心を打たないということなんでしょう。心を打つというのは文学的過ぎる表現かもしれませんが、別な言葉で言えば、どこかで聞いたような感じがぬぐえません。
氏は現在60歳とのことですが、戦前・戦中派とも言えないですね。本当の戦中派の人の大東亜戦争肯定論は、これはこれで聞くべき部分も大いにあります。何しろ、実際の空気を知っていますし、自分たちの青春時代を全否定したくないという気持ちがこもっているからです。しかし、氏の場合、借り物の印象のみ強い。

それよりも気になるのは、氏が航空幕僚長という立場でありながら、民間企業(アパグループ!)の懸賞論文に応募するというその軽さですね。筆者、初めてこの会社のWEBサイトを見てみましたが、なかなかお目にかかれない雰囲気でしたね。それはともかく、他の入賞者のプロフィールからすると氏は突出した社会的地位の高さがありますし、何より、そうした社会的地位の方は懸賞論文なんかには応募しないのがたしなみじゃないでしょうか。どうも、全体、ちゃちな感じがしてなりません。

もう一つ、日本国憲法には確かに基本的人権として言論の自由があるわけですが、職業道徳というのはそれとは違う次元にあるものと考えます。要するに、それぞれの職業にはそれに従った規範があり、自衛官について言えば基本的に政治的な発言はしない、あるいは政府見解と異なる発言をしないのがシビリアンコントロール下の最低限の職業道徳ではないかと思います。その意味からすると、氏はもはや組織人とは言えないし、それを確信犯的に行っている。記者会見で、「自分の信念だ」とおっしゃっているようですが、それならば自衛官という職業を選ぶべきではなかったし、せめて退官してからにしたら良かったのにと思いますね。逆に、そういう、組織人であることを放棄した人物に退職金を払うのはいかがなものかと感じてしまいます。

以上、政治的な部分からではなく、職業道徳という面からのみ論じてみました。

しかし、雪斎氏も書いておられますが、「選考した人々の見識は、どうなっているのであろうか」。