日本におけるキリスト教の影響

今月号の文芸春秋に、立花隆佐藤優による「21世紀図書館必読200冊」という対談がありますが、その中で佐藤氏が立花氏にカルヴァン派の影響を見出すくだりがあります。曰く、真理に対して狂ったように立ち向かう、知ったことを人に伝えたくなる、セックススキャンダルがない、蓄財傾向がなく本は迷ったら必ず買う、そして過ちに対して反省機能がない(筆を折ったり隠棲しない)。そして、信者である佐藤氏はもとより、立花氏も両親の信仰から多大な影響を受けているとのこと。

日本ではキリスト教徒の人口比は1%と言われています。しかし、キリスト教の影響ってかなり多いのではないかと思っています。
一つは「信者」の範疇に属さないが何らかの形で影響を受けている層がありますね。筆者は幼稚園がキリスト教関係であり、小学校の時分は日曜学校にも通った口ですので、信者ではないですが相当な影響を受けています。これは同時に、海外駐在では非常な強みでしたが。また、ミッションスクールなんかも何らかの力があるとも思います。先ほどの佐藤氏の指摘のうち、かなりの部分自分にもあてはまるので少なからず驚きましたが、小さいころの影響って考える以上にあるのかもしれません。
二つ目は、キリスト教徒の社会的な階層が比較的高いことがあります。これは現代キリスト教が明治以降の、欧米伝来で高学歴層が最初に受容したことが大きな理由とは思います。
しかし、もう一つ見逃せないのは、キリスト教徒が周りと異なる信仰、あるいは考え方を持っていることゆえにそれが常に知的な刺激を与え続けるという面です。というのは、ユダヤ人の環境に似ていると言いうるからです。ご存知の通り欧米におけるユダヤ人の影響力は経済的な部分だけでなく知的面でも大変なものです。ノーベル賞でのユダヤ人の比率はとんでもなく高い。面白いのは、イスラエルからはノーベル賞受賞者が出ないそうな。一つの理由は、そこがユダヤ人の国だから。欧米でのユダヤ人は子供のころから周りと自分はなぜ違うんだろうということを考え続けるわけですね。それが大変な知的刺激になる。しかし、イスラエルでは自分の方が多数派なのでその辺ボケてしまうという理屈です。ならば、他民族が同居している地域(世界中いくらでもあります)はどうなんだといわれそうですが、これはまた別かなと。といいますのは、大勢の中で自分だけ違うという感情は非常に強烈ですよ。筆者も、半クリスチャンなもので、多分その違和感からでしょう、小学校のときに随分いじめられました。この孤立感は、しかし同時に、自分の脳を活性化したように感じています。日本におけるキリスト教徒も多かれ少なかれ、同じような刺激を受け、結果的に相対的に高い知的レベルに達しているというのは考えすぎでしょうか。
しかし、そこまで考えなくても、今でも日本の大学の持つ威圧感というか権威感はヨーロッパ中世にルーツを発する「大学」というものの尻尾を日本の大学も有していることの表れと思います。
こうした、いろいろな面からのキリスト教の影響を我々の社会、知らず知らずのうちに受けている可能性がありますね。