堀北真希について

このブログは芸能ものではないんですが、思うところがあるもので。

最近、堀北真希をよく見るような気がします。実際、売れっ子のようですが、この人、演技はうまいとは思いますがものすごい美人というわけではない。しかし、何ともいえない存在感がありますね。

こういう存在には筆者など強烈な既視感がありますね。そう、山口百恵です。彼女も、よく見るとそんなに美人じゃないし、写真によってはむしろブスに近いこともある。
広告批評の「顔」という特集の中で、赤塚不二夫が「この人は篠山紀信が作ったのだ。それ以外の顔は全然良くないのだ」と言っていますが、確かに企画・売り込みの妙の部分はあるんでしょうね。

しかし、山口百恵がなぜあんなに売れたかについては筆者、ある種の仮説を持っています。それは、山口百恵が旧世代の価値の残照を体現していたからだと思うんですよ。いや、デビュー当時から、彼女の歌う歌はなかなか強烈なメッセージ性がありました(当時としては)。しかし、どうも、無理して歌わされている、という風にうけとっていたわけですね、周りとしては。ですから、「健気」というイメージから、東大生が「百恵ちゃんを守る会」を作ったりしたんでしょうね(世間受けの部分よりも、「守る」という表現に注意)。でも、もっと大きな目で見ると、戦前から続く昭和的なものが、ようやく終わりかかっていた時期に重なると思うんですね。そういう、滅び行くものを惜しむ気分が彼女へのフィーバー(古いですな)につながったように思うんですよ。
彼女も、活躍の後期は、どちらかというと「キャリアウーマン」的なイメージを打ち出してはいましたが、それとても、均等法第一世代っぽく、やはり旧体制との葛藤を感じさせるものでした。

そこへいくと、松田聖子なんかは、もう完全に吹っ切れていて、一に仕事、二に子供で、三四がなくて五が家庭という感じでしたね。まあ、彼女の場合、山口百恵よりもはるかに歌がうまいという事情もあったかも知れませんが。

さて、堀北真希ですが。

今の段階であまり、時代性云々を言うべきとは思いません。、彼女が「三丁目の夕日」で存在感を見せたことで、この時代が蘇ったなどと言うつもりもありません。ただ、どこか古風なキャラクターというのは、いつの時代もなかなか得がたいということは言えそうです。もしかしたら、後になって、時代を象徴する可能性も残しているとも思います。そこのところは未だ判断がつきかねているところです。

いろいろな意味で今後も注目すべき存在とは感じます。