「おくりびと」を見て

新年から縁起でもないと思われるかも知れませんが、日本からヨーロッパに戻る飛行機の中で、本木雅弘主演の「おくりびと」を見ていたもので、つい。また、葬式のときは、人生の素晴らしさをしばしば感じる性分でもあります。

さて、その「おくりびと」ですが、ご覧になっている方も多いかとは思いますが、「納棺師」という職業にまつわる話で、コミカルな部分もほろりとさせるところもある、いい映画でした。カンヌ映画祭の最優秀になったようです。ただ、ここで書きたいのは、ストーリーそのものよりも、納棺師という仕事がごく最近成立してきたらしいという事情についてです。
納棺師の役割は、もちろん単に棺に納めるだけではなく、ご遺体の清拭から始まり、死装束への着替え、そして化粧が主なもののようです。映画によれば、もともとは死者の家族がやっていたものが、アウトソースされてきたとのこと。直接には、葬儀屋から仕事をもらうようです。

いくつか気がつくことがありました。

まず、家族といえども、遺体に触れたくないのかも知れないということです。筆者もそうですが、核家族化・家族の小規模化によって、死に触れる機会は激減していますよね。身内の葬儀なんて随分前にあったきりです。そういう中で、遺体を扱うというのはなかなかできなくなっているように思います。

一方、納棺師が介在することによる価値の創造もありますね。着替えもそうですが、特に死化粧については、プロの仕事によってご遺族の気持ちが癒される部分がずいぶん大きいようですね。少なくとも、映画ではそのような描き方がされていました。
そういえば、筆者、ヨーロッパでは葬儀に参列した経験はありませんが、アメリカでは2回ほどありまして、いずれもエンバーミング、つまり防腐および見栄えの処理がされていました。このような処置も最近のことらしいので、洋の東西を問わず、ご遺体に何らかの処置をする流れにあるのかも知れません。

さらに、これが葬儀社からのアウトソーシングであるという点です。筆者の乏しい経験を思い出してみると、葬儀屋さんって、葬祭のコーディネートはしていましたが、確かに遺体そのものの取り扱いをしていませんでしたね。本来、葬儀屋さんはそういうものなんでしょう。ですから、遺族が遺体まわりの取り扱いをしなくなったからといって、葬儀社のスタッフが取って代わらずに、納棺師のような独立した職業が成立したような気がします。これは調べてみないと何ともいえないですが。(この後、調べてみたら、葬儀社のスタッフが行う場合もかなりあるようです。但し、専門家の場合はメークなどの付加的な技術を有するとのこと)

思い出したのは、アメリカでは葬儀屋をやるのには、葬儀大学を出る必要があるようなんです。どうも、葬祭そのものだけでなく、検視関係とか衛生とか(エンバーミングなんかもありますし)、果ては交通法規なんかもカリキュラムに含まれているとか。交通法規というのは、アメリカの場合、お墓まで霊柩車を先頭に車が延々と付いて行き、しかも、信号でも止まりません。かなりの場合、警察も先導するようですので、そのような手配関係なんでしょう。
まあ、アメリカの場合、大学も学部レベルでは日本の専門学校に近いので、そう考えると納得がいきます。最後は余談になりました。