良質なジャーナリズムの必要性〜「派遣切り」・裁判員騒動に思う

派遣や非正規労働者の「解雇」の話題が相変わらずマスコミをにぎわしているようです。確かに、大量の削減が耳目を集めやすいのは事実でしょう。

しかし、筆者にはとても不思議に思えます。なぜなら、今日の事態は、製造業の派遣とか非正規労働の法制の緩和によって当然予想されていたことだからです。マクロ的に見れば、日本の勤労者の給与水準では、製造業はなかなか成り立ちにくくなっています。中国とかベトナムとか、あるいは東欧なんかの人々もなかなか働き者ですから。
そうした中、日本の製造業の目指した方向が、高級化・高付加価値化とともに生産のフレキシビリティなんだと思うんですよ。海外の工場では比較的単純かつ変化の少ない生産を行い、日本国内では少量多品種かつ柔軟な生産体制を敷く。そうした、分業によって日本の製造業が成り立ってきた面がかなりある。ですから、生産減によって非正規の雇用を削減するのはごく当然の話です。もちろん、決まった契約を破棄するのは論外ですが。
誤解があるようですが、業種にもよるでしょうが、派遣や非正規労働の人たちの給与は必ずしも低いわけではないようです。正社員でも待遇の悪い仕事は掃いて捨てるほどあります。まして、諸外国とは比較にならないほどの好待遇のはずです。ですから、大変申し訳ないながら、この層の人たちは、生産変動のバッファーであることがレゾンデートルであり、そうであることを知っているはずだと思うんですよ。

思えば、バブル崩壊後、正社員がリストラと称して大量に解雇されました。日本の「終身雇用」は危機を迎えたわけですが、ここで非正規労働をバッファーにして正社員の雇用を守ることを日本は選択したわけです。同時に、そうした体制によって、製造業を国内につなぎとめたとも言えるでしょう。

実は、非正規労働法制の「緩和」は日本がそのような道を選んだという意味があったはずです。

以上、非常に冷たい議論を進めてきました。もちろん、非正規の人たちにとってはたまらん話です。ですから、同時に、社会全体としてのセーフティーネットを張る必要があったはずです。しかし、ジャーナリズムからはそのような声はほとんどなかったように思います。そのくせ、今になって大騒ぎしている。本当は、自分たちの不明を恥じるべきなんです。

政治も、リップサービスなのか、正社員化を唱えているようですが、これって長期的に見て国民経済にとって得なのかよくわかりませんね。下手に正社員化すると、今度は製造業自体が海外に逃げていくか、あるいは正社員の解雇が常態化するかもしれません。

それはともかく、ジャーナリズムの役割、社会に警鐘を鳴らすということは、こと非正規労働に関しては果たされなかったといいうると思います。今の報道は、マスコミの悪い面、ただ騒ぐだけに堕していますね。

同じようなことは裁判員制度についてもいえると思います。筆者も、この制度が法律として可決されるまで、ほとんど知りませんでした。知ったときには、えらいことだと驚きましたが、報道量はなお少なかったですね。それが今になって騒いでいる。

以上のようなことを見るにつけ、良質なジャーナリズムの大切さと、少なくとも今の日本の大新聞はそのような範疇には属さないということを実感します。それだけに、自分でアンテナを張り巡らす必要性を痛感します。