荘厳と滑稽のあいだ

荘厳と滑稽は紙一重なんて言いますね。
確かに、乙にすました雰囲気が、何らかのきっかけ(失敗)によって滑稽に転化してしまう例は枚挙にいとまがありません。
荘厳が滑稽に転化してしまうのは、一つには、「人間臭さ」を表わしてしまうからですね。こんな人も失敗するんだという。バナナの皮に滑って転ぶなんていうのがその典型でしょうか。

あるいは、楽屋裏を覗かせてしまうという言い方もできるかもしれません。でも、どんなものにも舞台裏がありましてね。

オペラ座の怪人」というミュージカルがありますが、あれを見て筆者がいつも不思議なのは、彼がどんな日常生活を送っているかです。どうも、彼は一人暮らしらしいので、多分自炊でしょうね。また、いつもぱりっとした服を着ているのでアイロンがけもするでしょうし、トイレ掃除とかもするのではと思います。自炊するオペラ座の怪人とか、アイロン掛けするオペラ座の怪人、トイレ掃除するオペラ座の怪人なんか想像するだにおかしいですね。
大体、クリスティーヌを地下に連れて行くときの地下道の蝋燭ですが、どうやってあらかじめ点けるんでしょうか。理屈では、一つ一つ点け、終わったらまた消しにいくでしょうね。ほとんどギャグですね。

筆者、基本的に人事総務系の仕事をしているので、裏方の大変さを承知しているつもりです。ですから、荘厳を見てもつい、裏方を想像してしまいます。悪い癖ですが。

でも、日本の茶道なんか、本当は亭主の裏方の作業を想像し、その大変さをも味わうところにその醍醐味があるようにも思うんですね。もちろん、亭主はそんなことおくびにも出しませんし、客も心得ている。でも、お互いその大変さを分かり、また分かってもらうことに心のつながりを見出していく。

よく「相手の立ち場に立って」なんて言いますが、その第一歩は、裏方仕事を想像するところから始まるように思うんですがどうでしょうか。