帰るべき自然の有無―雪斎先生の論に寄せて

雪斎先生は私淑している、というか常にブログをチェックさせていただいている方の一人です。氏の最新のエントリーにはこうあります。

>日本人には、「ヨーロッパ―キリスト教一神教」、「日本―八百万の神々ー多神教」という理解があるかもしれないけれども、実際には、ヨーロッパにおけるキリスト教は、「多神教」の世界の影響を受けた一神教」である。だから、ヨーロッパと日本の価値観は、余り対立的に考えないほうがよいのである。
 
 確かに、日本人とヨーロッパ人のメンタリティにはある意味の近似性を感じます。ハロウィンなんかは多神教的な部分の発露でしょう。必ずしも一神教になりきれない。
 でも、ひょっとしたら、ヨーロッパ人には、帰るべき自然がないかもしれません。ヨーロッパで車を運転していると、そこかしこに森がありましてね。かれらの、森というものに対する畏怖が少し分かるようなきもします。しかし、一方、出張なんかで上空から見ると、本当に森が切れ切れなんですね。それこそ、未知の世界としては成り立っていない。それに対し、日本の場合は、まだまだ森は深いですよ。実際は相当部分人工林ですが、それでも大多数の日本人にとっては懐深いものと感じられると思います。それに加え、日本の場合、海の存在があります。これも前に書いたと思いますが、故網野善彦先生によれば、株式市場の寄り付き・大引けという語は、遠くの海から寄り付き値が訪れ、また帰って行くと言うことを意味すると言います。あろいは、ある人曰く、日本の変革は常に海のかなたから来たとも。ですから、日本人の自然崇拝はいまだ強固と思います。
 それに比べ、ヨーロッパの場合、帰るべき「自然」をすでに破壊というか征服してしまったという石があるのではと感じます。これが故郷喪失なのか、罪の意識なのかは分かりません。しかし、この「帰るべき自然」の有無は日本とヨーロッパの意識の大きな違いではないかと強く感じます。