大河ドラマの「不振」

昨年の「篤姫」の惰性で今年の「天地人」を見ていますが、どうもストーリーが平板で。
まず、一人ひとりの性格付けが単純すぎますね。まあ、直江兼続はある程度仕方がないかも知れませんが、上杉謙信なんか、「聖将」として描かれすぎですね。「義のために戦う」となっていますが、藤木久志氏の「雑兵たちの戦場」など読めば、上杉の関東出兵が鎌倉攻略という面もさることながら、「奴隷狩り」をもう一つの狙いとしているようですし、妻帯しなかったのも、男色家であったからとの話もあります。また、打ち続く戦いによっても得るところが少なかったためか、信長との決戦の前にその経済力をすっかりすり減らしていたようです。武田信玄や次の世代の信長や秀吉、前田利家などが多かれ少なかれ経済政策家であったことに比べ、謙信はどうしても古い感じがぬぐえない。ですから、「聖将」ではなく、「名将」ともいいがたい。もっともふさわしいのは、「純将」、つまり戦いに憑かれた人物というところでしょうか。
あ、兼続の「愛」にしても、人を愛するというよりも「愛染明王」のことらしいです。

また、信長の家来が常に秀吉というのも、出演者数の節約なんでしょうか。「信長」「信長様」などと呼ぶのも抵抗がありますね。せめて「上総介」「お屋形様」でしょう。
合戦シーンは相変わらずのチャンバラですし、長篠の合戦もすっかり否定された例の三段撃ちで、最近の歴史学の成果がまるで反映されていません・。

多少のことには目をつぶりますが、何だか以前の大河よりも後退している感じがしますね。前九年、後三年の乱の再評価とか、浅井長政のことを「あざい」と呼んだり、何かしら最新の学問成果を取り入れていたものですが、プロデューサーがよほど不勉強なんでしょうか。