「帰属=知っている」ではない

と、なんだか変なタイトルですが、言いたいことはこういうことです。

筆者、一応大企業というものに属しています。で、世間の人と話すと、まるで会社のことをすべて知っているような前提で聞かれることが結構あります。製品とか、社風とか、はては役員のこととか。でもねぇ、大きな会社であればあるほど、全体なんか分からないもので。個々の製品の性能なんか、技術屋であっても担当していないと知らない部分が多いですし、社長なんか滅多に目にしませんよ。
ですから、会社のことは新聞発表で知ることが多いです。就職活動の学生に、「社内に徹底してから発表するわけないじゃないか」と言うと、初めて大企業というものがどんなものか実感したようです。

ですから、社員イコールその会社のことを何でも知っている、ではありません。考えてみると当たり前なんですが、つい、皆さん、組織体を一つのものして捉えがちですね。

筆者の場合、特に英語で自己紹介するときには、「○○の」ではなく、「○○で働いている」何某と名乗ることにしています。

これが、国籍になるともっとややこしい。国民をステロタイプで見るのは、集団を見るときには役立つこともありますが、個々人は決してそうではないですよね。でも、どうしても、そう見る傾向はありまして、例えば日本人なら皆柔道(最近は空手)ができるとか、歌舞伎に詳しいとか。この間も、黒澤映画のことを話しかけられ、こちらの知識が不十分だったので、それでも日本人かと言われてしまいました。

書いていて、変なことを思い出しました。昔読んだ、「スーパージェッター」というマンガの中で、敵役のジャガー(主人公と同じく30世紀からやってきた)が、現在の悪役と組み、新兵器を開発しようとする話がありました。その際、開発のある部分が現在の数学では解けないからといって、悪役がジャガーにその部分を解くよう頼むんですね。かわいそうに、ジャガー、紙と鉛筆(!)で、脂汗流しながら取り組んでいまして、ま、結局は解くんですが、これって、今ならコンピュータプログラムの解析を頼むところでしょうか。
しかし、ジャガー、どう見ても数学者には見えません。これも、「未来人=未来のことに通暁している」という前提があってのことですよね。大体、大多数の現代人は18世紀の最先端数学でさえとても理解できないのですから、30世紀の最新数学をジャガーが知っていたというのは奇跡に近いですね。それとも、未来人の意地で、断われなかったのかしらん。