バレンタインデー

今頃、こんなことを書くのはなんですが、バレンタインデーもずいぶん変わってきたようですね。

日本にいる中学3年生の娘は、当日沢山チョコレートを持って行き、沢山持って帰ってきたとか。要するに、女の子同士の交換ですね。一応共学校に居るんですが。

一時、バレンタインデー研究でも有名な妹尾堅一郎先生(実にいろいろな面を持った方です)のサークルにかかわったので、いろいろ聞きかじったんですが、一番印象に残っているのは、阪神淡路大震災がバレンタインデーの転機だったとか。

昔の、女の子の愛の告白から転じて、義理チョコ、そしてホワイトデーのお返し文化までいろいろ変転してきましたね。筆者、会社に入ったのが、丁度義理チョコからホワイトデーの走りのころでした。入社してすぐ、マシュマロデーなるものがキャンペーンされましたが、さすがにマシュマロは日本人の口には合わず、すぐにホワイトデーになりました。それにしても、ホワイトデー、日本人の贈答文化にマッチしていましたね。何より、男がもらいっぱなしでは何となく気持ちが悪い。そこを巧みにつかれた感じです。そうして、バブルの中で、エスカレートしていく。

そうした狂乱に最終的にピリオドを打ったのが阪神淡路大震災だったということです。これ、単にバレンタインデーだけじゃなく、最終的に日本人が「高度成長」の夢から覚めたということなんだと思うんですよ。森永卓郎氏の分析によると、オイルショックで高度成長が終了した後でも、「こんなはずでは」という思いを日本人はすっと抱いていた。そこへもって、バブルが始まると、「そう、これなんだ」ということで、突っ走ったわけですね。そうした、戦後からの幻想を最終的に打ち砕いたのが震災だったのではと思えるわけです。
もっというと、バブルまでの日本人は、一種の「不死」幻想に酔っていたように感じます。それが、震災によって、生命の価値、生命の有限性を思い知らされた。

ですから、バレンタインデーも、大切に思う友人とか、あるいは自分自身に対するものに変化していっています。妹尾先生も、バレンタインデーを通じて社会が見えるとおっしゃっていますが、筆者もそのような感じを持っています。

ところで、そもそも、なんでバレンタインデーがこれほどはやったのか。先生のゼミの学生と話していて気がついたのは、昔は女の子が男の子に愛を告白するなんで、非常にはしたないことだった。でも、この日だけは特別に許される。そうした、タブーから解放される日だったからこそ、バレンタインデーが盛り上がったのだと信じています。このことを学生に話すと、目から鱗が落ちたようでした。今ではそんな観念はなさそうですので。

しかし、これが戦前の日本だったら絶対に無理でしょうね。戦後の、依然として戦前的な建前がまだまだ強い一方、アメリカ的な価値観がある程度影響力を持ち始め、そうした圧力が求めた打開点がバレンタインデーだったように思います。

ちなみに、筆者の住んでいる地域では、カップルが贈り物を交換し合い、食事に行く日ではあるようですが、チョコレートは特別なアイテムではありません。だんだん、そのような方向に向かうのでしょうか。