自民党政治の終わり

野中尚人氏の「自民党政治の終わり」を一気に読みました。なかなかの本です。
以下、発見を。

まず、なんと言っても、自民党と官僚の「癒着」が、国会の弱さからではなく、強すぎることから来ているという点です。日本国憲法では、国会の独立性が欧米諸国に比べても強い。例えば、国会日程なんかは行政がかなりコントロールできるようですが、日本の場合はもう国会独自の判断に委ねられている。実は、日本の総理大臣って、非常に権力が弱いようです。米大統領のように拒否権があるわけでなし、閣内不一致などあれば理屈上はたちまち瓦解です。それはともかく、日本国憲法が、ニューディーラーの夢というか理想主義を実現しようとした一面がこんなところにも表れているようです。
問題は、国会や政党の政策立案能力が高くないうちに、このような制度が導入されたため、政党の方も、また官僚のほうもお互いを必要としたという点ですね。そりゃ、党人派中心の政党にとってみると、恐ろしくて立法なんかできませんよね。ですから、昔の国会で、大臣が「この問題は重要ですので役人から答えてもらいます」といったのもごく自然だったということですね。
しかし、特に自民党では、長い歴史の中で議員たちを鍛えるシステムが確立されてきて、行政に対する政策上の指導性が徐々に醸成されてきた。それを背景に、ようやく官邸中心の政治システムに移行しつつあるということですね。

もう一つ。氏は、日本社会を非常に民主的な社会と捉えておられます。それは、特に江戸期に広範に見られた自治の形に見出していて、合議制をもととし、権力もその内部に入り込まなかったものです。面白いのは、そのため、収量の増加にみあった徴税ができず、表面上増徴した場合もあったにせよ、実質上の税率は低下を続けたということです。また、笠谷和比古氏の「主君押し込めの構造」なんか見ても、江戸期を通じ、上がどんどん飾り物になっていっていますし。
それはともかく、今の日本の政治も非常なボトムアップシステムであり、しばしば政治が停滞するのは、民主主義的でないからではなく民主主義的過ぎるからとされています。また、戦後の冷戦構造は、まるで江戸期に戻ったかのようで日本の政治にとっては非常に居心地が良かったということが言えますね。

こうしてみると、今の日本のリーダー不在もむべなるかなという気がします。ただ、そうはいっても、曲がりなりにも120年におよぶ憲政の歴史があるわけですから、現状は民主主義消化の一過程であると捉えたいですね。

蛇足ですが、ブッシュ前大統領のイラク改造の根拠は、「我々は日本に民主主義を根付かせることができた」というところにあるそうですし、多分、昔のベトナムへの接し方も同じだったんでしょう。しかし、ポツダム宣言は、ちゃんと「昔の民主的な体制に戻す」と謳っており、その意味での最近のアメリカの権力者の不勉強には参ります。

まあ、話を戻すと、民主義というもの、その価値はしばしば「優れた成果」よりも「ひどい失敗」をしないところにあると思われますので、長い目でみましょうや。こんな時こそ。