組織とモニュメント

虎は死して皮を残し、人は死して名を残すとは古人の言葉です。ある医学読み物には、人が残すのは骨だとは書いてありましたが(それほど不朽性があるようです)。
それはともかく、同じように、組織体もいろいろ残したがるようで。

まず思い浮かぶのは建物ですね。古来からの大きな建物って、明らかに実用性よりも見せびらかしのように思えます。宮殿しかり天守閣しかりです。凱旋門なんか、例の大失敗のモスクワ遠征のモニュメントだそうですから、国内基盤の維持のための政治の道具ですね。
それだけでなく、例えばどんな小さな地方自治体でも、立派な庁舎を建てたがる。まあ、現代の天守閣ですね。平成の大合併の狙いの一つが、職員の削減だけじゃなくて、そうした組織体の数自体を減らすところにあるんじゃないかと思っています。

次にあるのが、歴史書ですか。会社なんかも社史をつくりますし、自治体もそうですね。面白いのは、中国に場合、次の王朝が前の王朝の歴史を編纂するんですが、そのための記録官がたえず皇帝にはべっていて、一言隻句を収集していたとか。これって、王朝がいつかは滅びることを前提としているかのようで、かなりのものですね。

最近では、映画という手もあるようですな。旧ソ連の、例えば「戦争と平和」とか「ヨーロッパの解放」なんか、モニュメントを残すという情熱以外では説明できないと思います。何しろ、ヨーロッパの解放なんか、構想20年という、本当に国家的プロジェクトでしたから。

こうしてみると、古来の文化遺産って、組織をつくりたがる人間の性のさせるわざということになりますね。

ところで、こうした観点から見て、アメリカってどうなんでしょうか。彼ら、確かにいろいろな文化遺産を残しつつありますが、国家的プロジェクトというものを感じませんね。むしろ、アメリカという国自体が国家的プロジェクトのようにも思います、しばしば、壮大な実験国家などといわれますが、そういう面からも言えるような気がします。むしろ、彼らが国家的プロジェクト的に何かを残そうと意識し始めたときこそ、アメリカの衰退の兆しなのかも知れません。そういう意味でも、アメリカって変な国ですね。