ドクターヘリの効用

筆者、少し前までヘリコプター運用の会社に関わっておりまして、そこで「ドクターヘリ」の効用について蒙を啓かされた経験があります。

ドクターヘリなるもの、空飛ぶ救急車と思っている向きもあろうかと思いますが、それが大違いなんですね。むしろ、空飛ぶ救急病院というべきものです。といいますのは、救急車は応急処置はある程度できるものの、基本は「運ぶ」ことが使命です。しかし、ドクターヘリは文字通り医者がかけつけ、医療行為を始めることができます。もちろん、「運ぶ」ことについても、救急車に比べてはるかに機動性が高いのは自明のことfです。

今、県単位で導入が進められています。しかし、いかにも遅い。また、厚生労働省補助金と病院・ヘリ運行会社の採算度外視の姿勢で何とか成り立っていますが、このままでは行き詰まるのは必至です。

面白いのは、ヨーロッパはドクターヘリの運用を国家事業と位置付け、公費でまかなっています。昔の西ドイツでの交通事故死半減なども、ドクターヘリの導入が大きかったとも聞いています。これに対し、アメリカの場合は、基本的に民間の営利事業で、保険でまかなわれています。ですから、無保険者には飛んできませんね。逆に、病院にとってみるとヘリが運んでくる患者は保証付ということになります。
日本は、現在ではヨーロッパ型にやや近いのですが、予算はしみったれです。簡単に言えば中途半端ということですね。

筆者など、変な道路を作るくらいなら、ドクターヘリ網を完備させるほうが余程生活の安心感につながると思いますよ。老後を田舎でと思っても、医療を考えるとなかなか踏み切れませんが、こういう根本での安心感こそ、豊かさを生み出すもとだと考えるものです。

因みに、軍事アナリストの小川和久氏によれば、ヨーロッパの、国家資源をダイナミックに移動させる意思決定は、彼らの国家デザインとともに、冷戦が彼らの思考を鍛えたのだと。トリアージのような、冷静な優先順位付けは、すぐそこに東側の軍隊が居るという状況の中でこそ可能になったということです。相変わらず、無駄なハコ物や道路を作りつづける日本は、まだまだ平和ボケということでしょう。まあ、一種の余裕なのかもしれませんが。