食べ物のこと

最近、旧社会主義国なんかも本当に開けてきましてね。ショッピングモールなんか歩くと、ブランドショップなど旧西側と遜色ないですよ。
スーパーマーケットなんかも百花繚乱なんですが、面白いのは旧社会主義国では例えば英系のテスコとか、仏系のカルフールとかオションとか、独系のオビ(もっともホームセンターですが)旧西側の企業が入り乱れています。

ところでこの間、旧社会主義国のスーパーマーケットの食品売り場を歩いていたら、ジャガイモが売っていまして、ポーランド産・ドイツ産に加え、エジプト産やモロッコ産までありましてね。もう3月ですから、ポーランド産とドイツ産はしわしわ(多分、昨秋に収穫したんでしょうね)なのに比べ、エジプト産とモロッコ産はしゃっきりで。
多分、社会主義体制崩壊の前は、春先はこうしたしなびた野菜や保存食で頑張っていたんでしょうね。

しかし、歴史的に見れば、特にヨーロッパなんか、冬は完全に保存食の世界でしてね。秋に豚を屠ってソーセージやベーコンを作っておくことが、東アジアの漬物づくりと同じような感覚で行われていたようです。

考えてみれば食生活を楽しむというのは、貴族以外は本当に近代になってからの産物で、昔は大体毎日同じようなものを食べるわけですね。それどころか、エスキモー(イヌイットというべきでしょうか)には「おいしい」という言葉がないとも聞いていますし、昔の日本の山間部でドングリ粉を常食していた地域では、苦しさのあまり服のすそをつかみながらやっと嚥下したという様だったそうな。生きるのだけで大変だったわけですね。
いや、今だって、朝食や昼食が毎日同じメニューであるという国は掃いて捨てるほどあるでしょう。たとえば、クロワッサンとカフェオレなんて聞くとおしゃれですが、毎日だと飽きるでしょうね。また、ある人が書いていましたが、オランダ人が来る日も来る日も、昼食が大きなパンとチーズと1リットルの牛乳だったのにあきれたとか。

そう考えると、日本の食生活の何と贅沢なことかと思います。和洋中に加え、最近は韓国とかインドとかのエスニックの要素もふんだんにありますし、何よりも南北に長いお陰で、いつでも旬の素材が楽しめる。ただ、その割りに、その有難さを実感していないような気もしますが、実にもったいないことです。

もっとも、昔の倭寇の侵略を受けた地域があまり動揺しなかったのは、最後は彼らが帰っていくことを知っていたからだとも言います。司馬遼太郎に言わせると、食事が口に合わなかったからだそうですが。まさか、日本人の国際化が進まないのは、日本食がおいしすぎるからか。確かに、最も国際化が進んでいると思われるのがイギリスですからねぇ。