なぜ時評をしないか

このブログでは、筆者は基本的に時事評論をしていません。
ブログを始めるにあたって書いたように、組織人としては、あまり適当なことを書いて組織に迷惑をかけたくないという面があります。
しかし、もっと根本には、「時評の難しさ」を感じているからなんです。

筆者、最終消費財にかかわる仕事をしていますが、その分、いろいろな方たちから製品や会社に対する感想をもらいます。それはそれで嬉しいんですが、驚くのは、あたかも会社の全貌を知っているような言い方をする人が結構いるんですね。
しかし、組織の全貌を知るなんてそう簡単じゃないですよ。筆者はいわゆる管理部門機能に属しているんですが、開発とか製造とか海外とかにもいろいろ関わってきています。それでも、例えば販売の第一線なんかの土地勘は不十分です。また、かつて関わった部分でも、このスピード時代、知識はどんどん陳腐化しています。ですので、余程のトップマネジメントでない限り、会社の全貌をリアルタイムで知るのは難しい。トップマネジメントにしても、現地現物で把握するのは不可能ですね。
一企業でそうなんですから、政治・経済の出来事について、その深層というか真相というか、本当のところを知ることはもっと大変なことであると考えざるを得ないですね。実際に起きていることの全貌を把握するのも大変でしょうし、多分、本当の経緯や真相を知る人は公言はしないものでしょう。
ですから、市井人の時評は、所詮、マスコミが行う報道の内容に対し、どのように感じるかの床屋政談の域を超えられないように思います。でも、あまりこういうことに時間を使いたくないと言う気分です。ですので、このブログでは、あえて時評をせず、実際に見聞きした一次情報、あるいは、あまり人が気がつかないであろう二次情報に限定して書き込みしているわけです。その方が、多少社会への貢献、あるいは読者への情報や見方の提供になるのではと思えますしね。