筆者の文体について

昨日の続きです。
筆者は、このブログでは、文体として「〜と思います」と書くことが多いはずです。基本的に、あまり断言はしたくないですね。昨日も書いたように、物事を把握することがいかに大変かと思っているので。

実は最近、同級生の一人が亡くなりまして、友人の間でしばしメールのやり取りがありました。その中で、彼が「会社に殺された」と決め付ける人がいましてね。ガンで亡くなったんですが、きっと仕事のストレスがきつかったに違いない、会社はちゃんと社員の健康管理をしていないのか、ひどい、と来るわけですね。この人は、日本の会社に勤めたことがなく、年1回の健康診断が法律で義務付けられていることを知らないような気がします。また、部位として発見が難しいという面もありました(あとで、別なクラスメートからそのような示唆がありました)。しかし、とにかく、日本の会社は社員を酷い扱いをしているという思い込みから論を進め、勝手に怒りまくっているんですね。周りは辟易としている雰囲気がありありでしたが。

また、最近訪問した歴史関連のウェブサイトで、長篠の戦いについて、最近の研究ではほぼ否定されている「武田騎馬軍団」だの「三段撃ち」などを前提に得々と自説を述べている向きがありました。知らぬこととはいえ、相当恥ずかしいことですね。

筆者の知り合いのディベートの名手に言わせると、ディベートのコツはただ一つ、相手の言説の前提をすばやく見抜き、それを攻撃して崩すことだと。どんな議論も必ず、前提があるんですね。ただ、言う人がその前提を意識していないことがしばしばあるようで、それをアタックする。それを破られると、今までの主張が総崩れになって負けるということです。

それだけ、「主張」は難しいものと思います。

その意味では、テレビなんかのコメンテーターなんかが、しばしば、「〜である」と断言するのを見ると、その蛮勇に絶句しますね。もっとも、そうでないとテレビには出られないんでしょうが。