三十年戦争

戦争はすべからく悲惨なものですが、ヨーロッパの三十年戦争は史上最も悲惨な戦争の一つであると思います。

この戦争、1618年から1648年までの丁度30年、最初はカトリックプロテスタントの闘争、後にはハプスブルク家ブルボン家の争いになり、主にドイツを戦場に行われたものです。戦争自体、大きな犠牲を伴ったわけですが、当時は傭兵の時代で、戦闘がなければたちまち浮浪者の集団と化すわけで、ドイツの民衆は略奪などの被害を受け続けたんですね。それが30年も続いたわけですから被害は甚大で、一説にはドイツの人口は三分の一になったとか。多分、人口の流出もあったんでしょうが、近世ドイツの後進性はここに端を発しています。

この戦争前半の巨頭にスウェーデングスタフ・アドルフ神聖ローマ皇帝の部下のヴァレンシュタインがいます。前者は近世スウェーデンの最盛期の王で、今でも同国では英雄視されていますね。後者は、皇帝配下でありながら、「専横極まりない」と言われるほど権力を振るった人物です。
この二人が相まみえたのが、1632年のリュッツェンの戦いで、それこそ歴史に残る激戦だったようです。グスタフ・アドルフは勝利しながら戦死してしまいます。ヴァレンシュタインも打撃を受け、2年後には増長を恐れた皇帝に暗殺されてしまう。

昨年、ストックホルムに行ったときに、王宮の博物館でグスタフ・アドルフの着ていた服と乗っていた馬の剥製を見ました。いろいろ博物館は回りましたが、乗馬の剥製まではなかなか無いものですから。そんなものまで残っているとはと感激したものです。

ところが、先日、チェコの西端にあるヘプという町に行きまして。ここは、そのヴァレンシュタインの終焉の地なんですが、ここには彼の馬の剥製があったんですね。ここまで張り合うか、という感じでした。

それはともかく、ヨーロッパの戦争は、調べれば調べるほど厳しいものがあります。しかし、お隣の中国になるともっと凄くて、王朝交代期には人口は良くて半減、一番ひどいと十分の一になったこともあるようです。

そう考えると。日本の場合、本当に徹底的な破壊が起きたのは応仁の乱(最近は応仁・文明の乱と呼ぶそうですが)くらいじゃないでしょうか。

今のいろいろな国際的な枠組み、まがりなりにも過去のいろいろな経験がもとになっています。日本人はあんまり実感していない感じもありますが。因みに、国際法の嚆矢は、この三十年戦争の悲惨さに衝撃を受けたグロティウスの考えが元になっているのは有名は話ですね。