現代文明を支えるもの

世の中には、非常に単純なものに実は大きく依存しているケースが結構あります。

例えば、産業における「ねじ」なんかそうですね。たかが、ねじと言うなかれ。自動車にしても、電気器具にしても、最終組み立てというのはほとんどねじ締めです。ねじなしには、現代文明はありえないですね。しかも、ねじが優れているのは、比較的簡単な機構で大きな締結力が得られる点でしょう。ねじ以外では溶接なんかがありますが、溶接となると素人にはそう簡単に扱えるしろものではありません。しかし、ねじ締めなら素人でもスパナやねじ回しさえあればそう大きな力でなく、かつ常温で扱えます。実際、自動車工場なんか、溶接工程と組み立て工程の規模は全然違いますね。

また、現代建築も、ねじの威力無しには考えられません。くぎと継ぎ手だけの建築にはどうしても限界と費用がかかります。現代建築の祖の一人であるエッフェル(もちろん、エッフェル塔のエッフェルです)は、初めて鉄橋を実用化したことでも有名ですが、そんな時代になってさえも基本は石造りだったんですね。ですから、ねじと鉄骨の組み合わせがいかにこの100年くらいで都市の景観を変えてきたかと言うことでもあります。

日本にねじが入ってきたのが鉄砲伝来時で、用途が銃身の尾栓だったんですが、コピーしようとした鍛冶が娘と引き換えにその製法を学んだのは有名な話です。

因みに、知り合いにねじの権威者がいるんですが、大変奥が深く、かつ機械や金属工学の基礎がすべて盛り込まれたものでエンジニアの育成に最適だそうな。
その他にも、「ばね」とか「歯車」とか、これらなしに現代文明がありえないものが結構ありますね。

文房具で言えば、「クリップ」なんかがそうです。単に、針金を曲げただけなのに、書類綴じとしてはこれ以上のものはないですね。確か、スウェーデンだったかに、この発明を称えたモニュメントがあるそうな。

さらに、「マジックテープ」。もちろん、これがないと現代文明が崩壊するとまでは言えないでしょうが、この威力は特に育児の際に実感できますね。これのおかげで育児がどのくらい楽になったことか。

こうした発明の恩恵にどっぷり漬かっている我々ですが、それだけに、「もしもこれがなかったら」と考えてみるのはいい頭の体操になりますね。