経済学は役に立つか

最近、ネット上で、経済学の有用性についての議論が結構白熱しています。例えば、ぐっちーさんとか畏友、風観羽さんとかがいい議論を展開されています。ですので、屋上屋の観がありますが、筆者も経済学士の端くれですので、少し書いてみますか。

まず、人間の行動の合理性ですが、これは大いに怪しい。特に、総体としての人間集団はそうですね。筆者、学生時代は経営財務のゼミに属し、証券市場の分析などやっていたんですが、これがどうも。当時は、当然バブル前でしたが、それでも理論からはとうてい説明できないような高値でした。もちろん、明日の成長の先取りと言う面もあったでしょうが、要は個々人のキャピタルゲイン狙いの集合体としての時価総額だったわけですね。言い換えれば、個々人の行動は合理的だったんですが、全体としては非合理だったわけです。
逆に、今のような低金利時代など、電力株などの安定配当株の方がはるかに有利なはずですが、一般の人はやらないようですね。もったいない。

次に、経済政策の限界があります。中国でしたか、「上に政策あれば下に対策あり」という言葉がありますが、経済政策の裏をかくような行動が政策自体の効果を減殺するような現象は確かにありますね。筆者が学生の頃、アメリカで合理的期待形成学派なるものがありまして、経済政策はすべからくそれに対する下々の対策で効果は一切無いとする、ウルトラ放任主義の主張でした。日本のある経済学者が、これを「アメリカシロヒトリ」と呼んで(上陸する前に撲滅すべしという意。そういえば最近はすっかり下火になりましたね)話題になりましたが、その後の市場原理主義の源流の一つでありましたね。
でも、これって経済政策に対する知識レベルにも左右されるわけで、昔読んだ手記で、日本からある途上国に派遣されたお役人さんが、経済政策が教科書どおり効果を発揮するので嬉しくなったという記述がありましたが、情報の非対称性がある限りは有効性があるんですよ。

また、経済の現状把握に問題があります。世の中が複雑化してくると、景気判断の元になるデータの取り方も難しくなってくる。物価一つにしても、エンゲル係数が高かった時代は食い物の値段が即物価の指標になったでしょうが、今のように人々の行動が多様化してくると、とり方は難しいですよね。昔であればGDPがこんなに下がれば社会は恐慌をきたしたでしょうが、今は例えば年金と貯蓄で潤った高齢者層の厚みがあるので、海外旅行なんかもなかなか減らない。だいたい、景気自体も個々人の受け取りの部分が大きいので、街角景気判断みたいなものが結構当たったりする。

というわけで、経済は理論どおりに動かず、経済政策は狙ったとおりの効果を生まないのは当然のように思います。

しかし、そうは言っても、経済学は面白いですよ。とにかく、世の中に対する見方を提供してくれます。また、純粋理論ではこのように動くとの仮定に対し、実際の経済の動きを対比させると、その間を埋めようと脳細胞を刺激してくれますね。ですから、経済学は全然万能とはいえませんが、十分に有用であると思いますし、依然、基礎知識としての価値は大きいと思いますね。