ツール派とコンテンツ派?

先日日本に一時帰国した際に、畏友風観羽さんと長時間話し合う機会を持ちました。相変わらず、非常に刺激的な時間だったんですが、その際、氏が繰り返しiPhoneの魅力について語り、また実演してくれました。しかし、筆者には残念ながらピンと来なかったのが正直な感想です。

確かに、iPhoneには驚異的な機能が盛り込まれていました。特に、iPhoneがオカリナになったり、ギターのように演奏できたりという点、テクノロジーもここまで来たかという感じでしたね。

しかし、筆者にとっては、目下の関心とは別の領域であるなと言うのが実感です。というのは、筆者としては例えばいろいろな本を読む時間をこれ以上侵食しないで欲しいという気持ちがあるからです。

インターネットなど、新たなテクノロジーは確かに世界を広げてくれます。しかも、そのように世界が広がりつつあるのを観察すること自体、非常に興味深いのも事実です。しかし、テクノロジーとのかかわりは、思った以上に時間を食われるんですよ。それがもったいなくて。

その昔、マクルーハンは、「メディアはメッセージである」というテーゼを提出しました(マクルーハン自身が、どのような意味で言ったかについては大いに疑義を感じていますが)。ここでいう「メッセージ」とは、今ではテクノロジーと読み替えることができるでしょう。確かに、新しいテクノロジーにはメッセージ性があります。しかし、それはコンテンツ自体への興味とトレードオフの面があるように思えます。

まあ、筆者の場合、ツールそのものに対する興味は相対的に小さいようです。こればかりは、性分ですからしょうがないですねぇ。