RiskとDanger

風観羽さんの宣伝のおかげで、たくさんの方においでいただいているようで、お礼申し上げます。

さて、日本ではリスクのことを「危険」、あるいは「災害発生の可能性」と捉えている人が結構いるようですが、もう少し奥の深い構造があるようです。

いつか、航空関係のかなり偉い人と話していたときに、「危険にはRiskとDangerがあるのではないか」とお聞きしました。その人の説によれば、例えば飛行機の大敵である積乱雲自体はDangerで、ここから遠ざかることによってRiskを減らせるということでした。

これを自分なりに解釈すると、Dangerとは災害や被害に結びつく可能性がある現象で、Riskは災害や被害そのものの発生可能性ということになるでしょうか。もう一つ、多分Dangerをコントロールすることは簡単でない場合が多いが、Riskはコントロールが比較的容易にできるのではということです。
具体例として、先ほどの積乱雲に加え、道路にあいた穴と地震で考えてみましょう。道路にあいた穴があったとして、これにつまづく可能性があるとします。これはDangerですね。もちろん、穴ですからふさげばいいんですが、すぐに工事にかかれない場合も多いでしょう。ですから、穴のまわりを柵で囲ったり、注意書きを出したりするわけですね。これにより、災害発生のRiskは相当軽減されます。
地震の場合では、いまのところDangerのコントロールはほぼ不可能でしょう。しかし、耐震設計にしたり、避難訓練をしたりするのは、少しでもRiskを低減しようとする営みだと言えます。

どうも、イメージとしては地震発生の確率自体をRiskと捉えがちですが、実際はこのような二重構造として把握するとより深い理解が可能と思われます。

問題は、Riskをコントロールするといっても、自ずと限界があるということです。とりわけ、コントロールのために人間が実施する行動は、必ず何らかの前提を伴っているため、その前提が崩れるとほとんど制御不能になることもありえない話ではありません。

例えば、地震対策にしても、液状化やら長期波動やら次々といろいろな問題点が発見されており、今の耐震基準が果たして正しいかという議論もありえますし、高層マンションなんか、インフラが止まったらどうするんでしょう。
また、典型的なRisk対策として、「分散」がありますが、ほんとに経済が打撃を受けた場合は、効果は相当限られるのは最近の状況を見れば明らかですね。要するに、分散先がそれぞれ異なるパフォーマンスをする、という前提が崩れたからなんです。言い換えると、Dangerへの理解は完全には不可能で、そのため、Riskコントロールにもおのずから限界が出てくるということなんでしょう。

そう考えてくると、例えば今の各国政府の経済対策がどこまで奏効するか、よく見極めておく必要性がありそうです。特に、効果の限界や副作用については。