ヴァン・クライバーン

辻井伸行さんがヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したニュースが大きく取り上げられているようです。最近のクラシック音楽の底辺の広がりを感じるとともに、氏が全盲であったこともニュースヴァリューを高めているんでしょう。この点については、政治学者の櫻田淳さんが優れた評論(「現代の検校」)をされていますので、そちらに譲りたいと思います。

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-4756.html

ところで、筆者、タイトルになったヴァン・クライバーン本人の演奏を聴いたことがありまして。それも、いわば、復活コンサートで。
このヴァン・クライバーンと言う人、現在74歳なんですが、23歳の時(1958年)に、旧ソ連で行われた第1回チャイコフスキーコンクールで優勝、冷戦の真っ只中での優勝だったんで、たちまち母国アメリカの国民的英雄になったんですね(この辺、ウィキペディア参照)。ところが、もともとの力が足りなかったのか、70年代くらいから行き詰まってしまい、80年代はほとんど人前では演奏していなかったんじゃないかと思います。
それが、1996年に、筆者が住んでいたアナーバーにあるミシガン大学(経済学部が有名ですが総合大学で音楽学部まであるんですよ)が何かのアワードを授賞するというんで、久々のコンサートになったんですね。筆者も、経緯は忘れましたが、聴きに行ったと言う訳です。

今から考えると、とっても変なコンサートでした。最初、彼が現れて挨拶もそこそこ、いきなりアメリカ国歌を弾き出したんですよ。アメリカ人の習慣として、みなあわてて立ち上がりましたが、明らかに不意を突かれていましたね。もちろん、違和感も感じていましたよ。その後、何曲か弾きましたが、大した演奏じゃなかったですね。
そして、幕間には、昔のニュースフィルムが流されるわけです、1958年当時の。彼、なかなかハンサムで、ソ連でも大人気だったようです。国民的英雄になるのもわかります。しかし、当時、すでに40年近く前ですよ。本当に、昔の栄光で生きているんだなと感じざるを得ませんでした。
その他、ヴァン・クライバーンコンクールでの優勝経験者と、彼の名を取った奨学金で勉強中の黒人の男の子と中国系の女の子(どちらも中学生くらいでしょうか)のペアの演奏がありました。優勝経験者の演奏は非常に小難しいものでしたが、ペアの方はもう音楽が楽しくてしょうがないという雰囲気で、かつ才能が溢れんばかり。何だか、有色人種のパワーを感ずることしきりでした。そういえば、今回のヴァン・クライバーンコンクールでも辻井さんと中国人ピアニストの共同優勝だったとか。まあ、今や、東洋人の入賞は当たり前になった観がありますね。

ところで、先ほど、「復活」コンサートと書きましたが、正確には違いましてね。実はアナーバーの直前に、日本でコンサートを開いているんです。ある人に言わせると、日本の観客は優しい(甘い?)ので、自信をつけるためにまず日本でコンサートをやったのではとのこと。そうかも知れません。まあ、骨董品を眺める気分だったのか、はたまた最近の彼の状況を知らなかったのか。詳細は分かりませんが、いろいろ考えさせられる事実です。