「代役」論

この週末を利用して、本当に久しぶりにウィーンへ行ってきました。といっても、土曜日の午後に着いて、少し見物した後は、その夜の国立歌劇場と日曜昼のウィーン・フィルのコンサートを聴いただけで終わりでしたが。

この、本日日曜のコンサート、本当は小澤征爾指揮のはずだったんですが、あいにく体調不良(脱腸だそうな)で急遽降板になり、代役が振っていました。その代役は、ダニエル・ハーディングという、まだ30代らしい、若手です。

本日は、小澤指揮の予定だったせいか、満員で、かつ非常に日本人が目立っていました。で、当然、代役であるということはみな承知なのですが、果たしてどんな演奏になるのか、聴衆が興味津々であるのがひしひしと感じられましたね。こういう中、出てくるのは結構プレッシャーだと思いますが、実際にはなかなかのものでした。もう、本当に一生懸命で、何だか物慣れたはずのウィーン・フィルが、少しアマチュア的な熱気さえはらんだ場面もありました。

こういう、一種の非日常が、代役にはありますね。もちろん、本人にとっては大チャンスでしょうし、オケにとっても何だか日頃とは勝手が違った雰囲気もありました。

その昔、日本の敗戦後、公職追放によって若手がいわば代役として中枢を担うようになって、日本企業の活力が大いに刺激されたことがあります。これって、単なる若返りというより、突然、つまり準備があまりない状態で担当することによる火事場の馬鹿力の部分があるのではないか。つまり、若いときからプリンスとして育てられた人が満を持して登場するよりも、こういう、自分の実力が十分でないことを自覚しつつの一生懸命さの方がいい結果をもたらすような気がしてなりません。

わざわざ日本から小澤征爾を見に来た人には気の毒でしたが、筆者にとっては、そういう意味で非常に新鮮なコンサートでした。ハーディング氏の今後をちょっと注目してみたいと思います。