日本人の戦争観と江戸時代

本日のエントリーは多少問題かも。

毎度の話で恐縮ですが、ヨーロッパの観光地って、結構血生ぐさい部分が多いですね。大都市を別とすると、大体はお城と教会なんですが、教会はともかく、お城はなかなかですよ。
今週末は、チェコ南部のチェスキー・クロムルフという、町全体が世界遺産であるところに滞在し、その城館を訪ねました。見学コースが3つもあり、なかなか堪能できました。いろいろ見所がありましたが、ここは大きなタペストリー、つまり壁掛けがどの部屋にも一杯ありました。で、一番違和感があったのは、食堂のタペストリー。モチーフがサロメでして、切られたヨハネの首を前に恍惚とした表情を浮かべるって言うあれです。美術館ならともかく、一応、住居のはずなんですが。しかも食堂ですからね。これを横目でみながらお食事ですか。まあ、ある時代には残酷趣味があったのは事実ですが。
それ以外にも殺伐ムードはどこの場所でも結構あります。ここの最後の持ち主の貴族の紋章は、辮髪のアジア人の首をカラスがついばむという図です。初代の当主がトルコ人と戦ったからだそうですが、東洋人としては、こういう図が城館のあちこちにあるのを見るのはあまりいい気持ちはしないですね。

ヨーロッパの、この血なまぐささ、やはり彼らは肉食だからね、なんて声が聞こえてきそうです。まあ、そういう部分はあるかも知れません。

一つは、異民族同士の争いだったと言うことですね。日本でも、蒙古襲来の際、手ひどくやられた壱岐とか対馬にはその恐怖の記憶が語り継がれているようですし、朝鮮半島での秀吉の行いも、多分に異民族であることで大きく取り上げられる部分があるのではと思います。ヨーロッパの場合、ヨーロッパ内に加えて、モンゴルとかトルコなんかの襲撃を受けていますからね。ですから、いつ襲われるかという意識は強いでしょう。

しかし、もっと考えるべきは、ヨーロッパには長期の平和がなかったということです。17世紀までの宗教戦争、18世紀の王朝戦争、19世紀にかけてのナポレオン戦争、そして・・と、長い平和の時期がなかなかないですね。ですから、戦争は常にあるものという観念があって不思議ではありません。

翻って、我が日本の場合、江戸時代の存在が大きいように思います。実は、戦国までの日本も相当殺伐としていましてね。相手の首を取るというのは、日本人はごく普通に考えていますが世界的に見たら野蛮な習慣でしょう。また、刑罰もかなりなものだったようですね。
しかし、江戸時代の太平は日本人の戦争観をすっかり変えたのではと思います。というか、リアルなものでなく、どこか観念的な捉え方をされるようになったように思えてなりません。もちろん、幕末の戦争から始まり、明治以後は日清・日露・日中そして第二次世界大戦と多くの戦役を持つことになるのですが、一般国民にとって、何か現実感のないものであったのではないかと考えています。空襲などでは確かに大きな被害を受けましたが、国内で異民族同士が殺しあったわけではないというのも事実でしょう。

ですから、日本における国防議論がどことなく上滑りしているように思えるのもむべなるかなです。よく日本人は平和ボケなんていう意見がありますが、そもそも国民として実体験が少ないことに由来するのではとも思います。もちろん、出征したり、外地で苦労をなめた方々はそういう経験をされているわけですが、彼らにとっては、日本の雰囲気は耐え難い部分があるのではと推察します。

実は同じような観念性を、アメリカに感じています。キッシンジャーの分析によれば、彼らにとっては民主主義を広めることが国益であり、その大義のために戦争ができる国民であるということなんです。実はアメリカも国内が戦場になったことがない、正確に言えば、異民族との戦場になったことがない国ですね。ネイティブアメリカンとの戦いはどちらかと言うと国土を広げるための侵略戦ですし、南北戦争はこれまた内戦です。ですから、国外からの侵略ということに耐性がなく、それだけにパールハーバーがショックだったわけですね。

それはともかく、だから日本人が不幸だとは絶対に言えないですね。もちろん戦争は過去も含め、無いほうがいいに決まっています。それに、ヨーロッパだって、確かに戦争がしばしば起こっていたものの、第二次大戦のような激烈なものは近世以降ではほとんど空前だったはずです。ですから、戦後、ヨーロッパは深刻な反省を行い、今日に至っています。まあ、ユダヤ人に言わせれば、やっと自分たちのレベルに少し近づいたか、というところかもしれませんが。