城さまざま

ドイツでは、ニュルンベルクのカイザーブルクに始まり、ミュンヘン郊外のニンフェンブルク、中心地にあるレジデンツルートヴィヒ2世の3つの城プラスワン(ヘレンキームゼー、リンダーホーフ、ノイシュバンシュタイン+ホーエンシュバンガウ)、ホーエンツォレルンなどと城というか宮殿を見てきました。
この内、カイザーブルクは、神聖ローマ皇帝の城でしたが、残念ながら戦災でひどくやられたようでほとんどが再建です。とはいえ、中世の城というもの、本当に住み心地が悪そうですね。
次の6つは、いずれもバイエルン王国のものですが、まず感じるのは、どうしてこうも建物を建てるのかということですね。ルートヴィヒ2世の城狂いは別格でしょうが、その父もホーエンシュバンガウを建てていますし、ルートヴィヒが国を傾けそうになって逮捕され死去した後も、ミュンヘンの王宮が相当増築されている感じです。
また、その内部の装飾。大体、どこもバロック風の、ごてごてとした装飾で、最初はため息ですがだんだんうるさくなってきますね。彼ら貴族は、こういう中でほっとできたんでしょうか。いや、彼らの生活って、生活自体が政治と言うか仕事だったので、こういう中で生きることが使命だったとも考えられます。それにしても、すごいコストですね。すでに、プロシアの脅威がひたひた迫っていたはずと思うんですが。
まあ、見ようによっては、国王とか貴族とか、すでにだんだん時代から取り残されていったんですが、それだけに、彼らの建築や装飾へのこだわりがかえって増幅されたようにも思えます。考えたら、19世紀後半って、王侯の精神病の時代とも言えますね。ルートヴィヒは引きこもりになりますし、弟のオットーは完全に発狂状態、また、プロシアフリードリヒ・ヴィルヘルム4世もおかしくなり、その他にもイタリアの両シチリア王国なんかでも廃疾が続いたと記憶していますが、これも、こうした時代背景があるのではと思えてしまいます。
そうした中、最後に見たホーエンツォレルン城はちょっと別格でしたね。ホーエンツォレルン家といえば、ブランデンブルク選帝侯以来の家ですから、当然北ドイツが地盤なんですが、発祥の地が南部ドイツ、シュトゥットゥガルトのさらに南にありまして。とはいえ、19世紀まで、ここはほとんど荒れ果てていたようですが、そこに新たに本当に中世風の城を作ったんですね。ちなみに、この城、高い山の上にありまして、遠くからも良く見えます。城壁は黄色レンガで素っ気無く、城の内部は生地の木張りで装飾もひどく控えめです。
想像を逞しくすれば、これって、ドイツ統一に向けたバイエルン王国への示威ではなかったかと思うんですね。何しろ、バイエルンのルートヴィヒの方は、フランス風の宮殿ばかり、それも一般人から見えないように作っています。ヘレンキームゼーは湖の島の中ですし、リンダーホーフは本当に山の中です(車でも相当は時間かかります)。また、両城とも、ルイ14世にあこがれ、ヘレンキームゼーなんかヴェルサイユの完全なコピーですから。
それに対し、ホーエンツォレルン城は、無骨というか質実剛健そのもので、これをバイエルン王国のすぐ近くに建てるのは政治的な計算があったのではと考えざるを得ません。つまり、バイエルンの柔に対し、プロシアの剛を見せつけるということですね。

そうしてみると、城の持つ意味合いも変わって見えてきますね。

最後に蛇足を。今回初めて知ったんですが、ルートヴィヒ2世、身長が194センチの巨漢だったんですね。今でも相当なものでしょうが、当時の平均身長から考えれば、もうジャイアント馬場的ですし、若いときはすらりとしていたものの晩年はでぶでぶに太っていましたから、ほとんど相撲取りの世界ですね。どうも、メルヘン王などと言われ、端正な肖像画なんかから勝手に小柄であると想像していましたが、イメージが狂いました。