建築による政治

前回、ホーエンツォレルン城のありようについて、示威ではないかと書きましたが、今度は中部ドイツのゴスラーに行って、さらにその感を強くしました。
ここは、神聖ローマ帝国を建てたオットー大帝のブロンズの王座があり、それを見にいったんですが、それは昔の教会のほんの一部残ったところにあっけなく鎮座しています。で、その横に、「皇帝居城」なる城館がでんとあるんですね。この城は、もともと神聖ローマ帝国のハインリヒ3世ですから11世紀に建てられたんですが、長らく廃墟になっていたのを19世紀にドイツ帝国が再建するんですね。でも、居城といいながら、中はほとんどホールでしてね。帝国の間と呼ばれているんですが、ここに11幅の絵が飾ってあるんですよ。左右に5幅ずつで、ドイツの歴史、というかカール大帝からハインリヒ2、3、4世、フリードリヒ1世バルバロッサ、同2世、さらにルターまでの、北ドイツ系の君主や偉人が描かれています。北ドイツ系というのは、ハプスブルク系の神聖ローマ皇帝達は一切含まれていないという意味です。
で、中央が、突然当時のドイツ統一の英雄たちの絵なんですね。馬上のヴィルヘルム1世に息子のフリードリヒ3世、脇にはビスマルクモルトケ、その他多数の貴族や将軍、さらに幼い後のカイゼル=ヴィルヘルム2世まで描かれており、実に堂々としたものです。
この建物、そしてその絵の意味するところは明らかです。当時のプロイセンが、中世以来の神聖ローマ帝国の正統な継承者であること、そしてキリスト教プロテスタント)の理念を奉ずるという宣言ですね。カイゼルの年齢イコール描かれた年とすると、普墺戦争勝利後で普仏戦争前の、まさに統一に向かう時代のエネルギーが感じられますし、濃厚な政治的絵画、政治的空間ですね。

話は変わりますが、ドイツでは町の中心は必ずといっていいほど、「市庁舎」です。これを、今の市役所と同一視するのは危険でしょう。確かに、機能は同じかもしれませんが、これって諸侯の城館への対抗ではないかと思うんですね。つまり、中世の時代、都市は皇帝の下、諸侯と同じ格を持っていたわけです。ですから、諸侯が政治的空間として城館を建てたのと同じことが市庁舎にはあると考えられます。
そうでも考えないと、あの内外とも広壮な市庁舎の意味がわかりませんね。

いずれにしても、古来、建築は政治の道具でありましたが、外観だけでなく内部の政治空間のありようもその考察の対象として奥深いものがありますね。