政治システムの「生命力」

さて、昨日はドイツ帝国の「勢い」について書きましたが、このような勢いって、国自体の存亡とは別なところで生命力を持っているように思います。
ドイツの例では、確かに第一次大戦に敗れてカイゼルは亡命し、国は共和国になりましたが、「世界に冠たるドイツ」的な、あるいはヨーロッパ第一の国という意識は容易に抜けなかったでしょうね。それなのに負けてしまってどうもおかしいという思いが、「背後からの一突き」論を受け入れやすくしたと言えるでしょう。
もっとも、歴史家のジークムント・ノイマンなんかに言わせると、ドイツは第一次・第二次大戦ではなく、連続した30年戦争を戦っていたということになります。彼は、ドイツ軍部にとって第一次大戦は敗戦ではなく、一時的な休息ととらえています。それゆえ、第二次大戦は起こるべくして起きたということになるんですが、それはちょっと言い過ぎにしても、「国体」が大本のところで維持されていたということでは納得できる部分も多々あります。
ちなみに、ドイツ人の自信は第二次大戦後も維持されているようで、戦後の高度成長はそのような自己意識無しには達成できなかったんじゃないかと感じますね。イギリスなんか、戦争に勝ったにもかかわらずすっかり消耗し切ってしまい、長い低迷の時代を過ごすことになったわけですから。その意味では、イギリスの政治システムの耐用年数がきれたということなんでしょう。その意味ではサッチャーは偉かったということになりますね。

話は突然飛びますが、日本の歴史で言えば、鎌倉幕府滅亡後の歴史は体制と意識の寿命のギャップの好例でしょう。鎌倉幕府が滅亡したのは、単純化すれば、武家のシステムの賞味期間切れではなく北条得宗家への単なる不満だったんですが、後醍醐天皇はそれを見誤ってとんでもないしくみを導入しようとして失敗しますね。これなんか、体制の存亡とシステムの寿命が別であることの好例でしょうね。逆に、徳川幕府なんかはシステムとしても完全に崩壊したということです。

日本の戦後の高度成長については、やはり明治以後の、諸外国に追いつき追い越せというイデオロギーの延長線上との位置づけが可能です。政治的には、全く180度変わったわけですが、その分のエネルギーがすべて経済に注がれた観があります。
ただ、この高度成長、それ自体が新たな生命力を持った部分がありまして。要するに、高度成長が当たり前という意識ですね。実は、筆者が高校・大学に行っていた時代はオイルショック後の、安定成長が叫ばれておりました。しかし、まだまだ高度成長の意識は抜けず、それどころか自動車を中心に輸出が大幅に伸びていた訳ですね。そうした中、バブルの時代が来るわけですが、これって、日本人の持っていた、「そうそう、これこれ」という、高度成長慣れの意識にぴったりフィットしたため、余計に増幅されたということになります。実はこの辺は、森永卓郎氏の秀逸な分析を下敷きにしておりますので、興味のある方は講談社新書をご参照ください。

さて翻って、今の日本は戦後のイギリスのように、ある意味次のシステムを模索している最中のように見えます。気分的には低迷期ですが、この時期にどのくらい次に対して仕込みが出来るかがカギのようにも思えます。まあ、焦ってもしょうがないですしね。逆に、長続きするシステムの構築が求められているんじゃないでしょうか。あ、ただ、これって選挙云々とは別の次元ではないかと思いますよ。