歴史上のワーカホリック

ホーエンツォレルン家の故地に19世紀に再建というか、プロシアの国家としてのコンセプトを体現するものとして建てられたホーエンツォレルン城については、前にも書きましたが、そこではさまざまな君主が顕彰されていました。中でも、フリードリヒ大王ことフリードリヒ二世は、その中心でした。そりゃそうですね。プロシアの発展の礎を築き、大国としてのプロシアは彼によって現出されたわけですから。
しかし、この大王、ある意味、ワーカホリックといえる存在ですね。同性愛者であったといわれますが、女性関係での逸話はなく、さりとてフランスのルイ13世のように、愛人(男性)の存在で国を危うくするようなこともありませんでした。わずかに、小規模なサンスーシ宮殿を建てたり、音楽に慰めを見出していたようですが(バッハの「音楽の捧げ物」は有名ですね)、その他はひたすら仕事をしていて、亡くなるまで「英雄的に」働いていたと伝えられています。
中国では、清の雍正帝なんかがそれにあたるでしょうか。彼は、国内のすみずみまで密偵を放ち、日々遅くまで彼らからの報告書に目を通し、指示を与えていたとのこと。そのため、在位13年ほどで亡くなっていますが、働きすぎゆえとも伝えられています。しかし、そのお陰で清が300年も国が持ったと評されています。
日本で言えば、大久保利通なんかがそうでしょうか。彼も、個人的な楽しみという逸話がほとんど伝えられず、また、蓄財もそれほどしていなかったようです。ロッキード事件で、彼の末裔が逮捕されていますが、先祖から受け継いだものはあまりなかったようですね。にもかかわらず、近代日本の基礎はほとんど彼の力によって築かれたわけで、まさにワーカホリックといえるでしょう。

どうも、このワーカホリックたち、その無趣味性もあってか、一般的な人気は低いようですが、基礎を築くという仕事の過酷さを見る思いがします。