強制収容所さまざま

今回のドイツ旅行で、3ヶ所強制収容所を訪れました。ミュンヘン近郊のダッハウハノーファー近郊のベルゲン・ベルゼンハンブルク近郊のノイエンガンメです。
ダッハウは、まあ、非常にオーソドックスな展示でしたね。昔のバラックは一部復元されていただけでしたが、管理棟がそのままになっており、また、管理棟と言いつつ、独房が並んでいたりするので、陰惨さは十分に伝わってきます。ここは、また、各宗教の鎮魂施設があり、カソリックユダヤ・プロテスタン、それにロシア正教などがあり、犠牲者の広がりを感じさせます。ちなみに、ダッハウの町のはずれとはいえ、一応人里に近く、労働力として使われていたことを伺わせます。また、ソ連軍捕虜が数千人単位で銃殺された場所なんかもありましたね。それから、ここは、戦後はドイツ人難民のアパートにもなっていたようです。
それに対し、ベルゲン・ベルゼンは、全く隔離された場所にありました。何でも最初は、旧ソ連軍の捕虜の収容所として始まったようです。後に、ユダヤ人を始め、さまざまな人々が集められ、アンネ・フランクの終焉の地としても著名です。ここは、ガイドブックによると何も残っていないとのことでしたが、そんなことはありませんでした。まず、敷地のそこかしこに土饅頭があり、そこに「800人を埋めた」とか「2500人を埋めた」といった表示があるんですね。また、記念館では、特にイギリス軍に解放された当時の様子がビデオで放映されており、最初は看守に死体を運ばせていたが、それでは腐敗に対し時間が足りず、ブルドーザーで死体を埋めた様子などが映し出されていました。但し、収容者が次第に人間らしい生活を取り戻す様子などもあり、当時の混乱振りがよくわかりました。
最後のノイエンガンメですが、管理棟は非常に立派で。ここの展示は、収容者一人ひとりの生活史を膨大なデータで展示していました。同時に、ここの収容者の労働力が当時のドイツの産業を支えていた様子とか、終戦まぎわに移送され、船に乗せられたものの連合軍に撃沈されて数千人が亡くなったなどの逸話がこれでもかと展示されていました。この撃沈、本当に悲惨で、やっと岸にたどりついた人々の大半も親衛隊によって射殺されたとのこと。その無念さと、射殺する方の精神状態を想像するだに、呆然とする思いです。

ヨーロッパに来て以来、アウシュビッツグロスローゼン・マイダネクといった強制収容所のほか、ポーランド東部のツィタデラやチェコ北部のテレジーンといった虐待の舞台となった要塞を見て来、今また、上記のような強制収容所を回ってきたわけですが、実は、これでもまだまだナチスの罪悪を本当に知ったとは言えないようなんです。というのは、悪名高いアウシュビッツにしても、半分は労働のための収容所の面があり、曲がりなりにも病院があったり、労働力を当て込んで企業が進出したりしているんですね。

しかし、本当の恐ろしさは、こんなものではないようです。というのは、ポーランドユダヤ人の絶滅を目的としたラインハルト作戦にそって設立されたトレブリンカ・ベウジェッツ・ソビボールの3収容所は送り込まれると即殺害というそれこそ殺人工場で、しかも戦争も割と早い段階で閉鎖され、証拠の隠滅が図られたようです。ですから、他の収容所とは比べものにならないほどの大量殺人が行われたにもかかわらず、この痕跡がほとんど残っていないとのこと。
しかし、これって、彼ら自身、罪の意識を持っていたことの証左だと思いますね。亡くなっていった人々の無念とともに、それに関わった人間の精神の荒廃をこれまた感じてしまいます。

強制収容所の訪問、決して愉快ではないですが、考えされられることはこの上なく多いですよ。