「悪評」と町おこし

今回の旅行で、強制収容所を3箇所訪問しましたが、最初のダッハウ収容所は、ミュンヘン郊外のごく普通の町にあります。実際には、ダッハウの町の中心は少しはずれてはいますが、依然家並みの中にあります。駐車場に車を停め、収容所跡に行こうとすると、大きな地図がありましてね。これがダッハウの町の観光地図なんです。
それを見ていて、何だか気の毒になっちゃいましたね。普通、ダッハウの地はほとんど知られていないでしょうし、知られるとしたら強制収容所によってだけでしょう。でも、これって住民にとってはたまらないでしょうね。
同じような話はどこでもありえます。実は、ヒトラーが生まれた、オーストリアのブラウナウ・アム・インのウェブサイトをチェックしたことがありますが、ヒトラーのヒの字もない。観光とスポーツの健康都市ですよ、というイメージに満ち溢れたサイトでした。きっとこちらも苦労しているでしょうね。
それでも、この2つは、知名度という面ではたいしたことはないのでまだましかも知れませんが、アウシュビッツになると大変です。もともと、アウシュビッツ(現在はポーランド語でオフィシエンチム)は、各地からの鉄道が交錯する、交通至便な土地なんですね。そのため、ヨーロッパ中から囚人を移送することが容易だとして強制収容所に選ばれたようです。しかし、今では、強制収容所以外のイメージはおよそないでしょう。少し前に、町の若手が少しでもイメージを変えようとディスコを作る計画を立てたものの、合えなく却下されたという記事を読みましたが、何とかもがいている様子に同情を禁じえませんでした。実は、アウシュビッツを訪れる人は非常に多いのですが、入場が無料ということもあり、ほとんどお金が落ちないんです。

それでも、少し前に日経ビジネスオンラインに「水俣病でメシを食え」という連載が載っており、なかなか啓発される部分がありました。要するに、環境教育を使命とし、しかも、そのような情報提供にはコストがかかるので、それだけの対価をもらうべきである。当然、その情報の質の管理も重要である、という主張でした。

町についた、マイナスイメージですが、極力振り払うか、資源として活用するか。その内容と大きさによってはんだんされるべきなんでしょう。しかし、考えると、プラスイメージもあまりに固定的な場合はそれ以降の発展の妨げになる場合もありますね。
イメージのマネジメント、なかなか一筋縄ではいかないものですね。