人間という「壊れた」存在

やや旧聞に属しますが、日経ビジネス8月10日号の編集長インタビューには、はっとさせられました。話者は零鳥類学者の島泰三氏です。
氏は、安田講堂籠城の経験や、戦後の団塊世代にとっての親世代の優秀者が多く戦死し、十分な指導を受けられなかったなどの視点を提供していますが、同時に、人間の本性して「壊れた存在」であると主張しています。曰く、人間のみが我が子殺しをする(サルも子殺しをしますがわが子は殺さない)のは、人間が壊れているからである。壊れているため、人はそれを抑えるために社会規範を作ってきた。また、今の社会が、もともと壊れている人間をさらに壊れる方向に仕向けている。特に、現在の日本が手本にしているアメリカの社会は、自分を銃でしか守れない、徹底的に壊れた社会である。今後は共同体のあり方についてもっと学ぶべきである。
ただ、短いインタビューのそのまた一部分であるため、「壊れ」の意味ははっきりとは定義されていません。

確か、人間が「壊れ」ているというのは、「ものぐさ精神分析」の岸田秀氏も主張されていたと記憶しています。岸田氏は人間を本能が壊れている存在であると捉えられていましたね。多分、島氏の主張も同じような意味合いであると思います。

本能が壊れているとはどういう意味か。多分、動物、生物として必ずしも合理的な行動を取らない、あるいは取れないということかと思います。自己保存と種族保存(ドーキンス的には自己の遺伝子の伝播)は、生物の基本でしょうが、人間のみが自殺しわが子殺しをする。

ただ、筆者には「壊れているから」人間であるとも思えるんですね。

まず、意識はこのような壊れから来ているのではないでしょうか。もちろん、犬にもサルにも意識はありますね。しかし、人間独特の意識、例えば「疑い」などは他の生物にはないものと考えられます。この疑いというやつ、本質は人間の「自然」に対する違和感から来ているんだと思います。あえてカギ括弧したのは、ここには生物としての自分自身も含まれると思うからです。自分自身への違和感って、高ずれば統合失調症そのものですよ。もちろん、精神的な病にはハード的な異常も原因として考えられますが、人間の意識のこのような基本構造が由来しているのではと感じます。

また、「壊れ」は人間の「発展」あるいは「歴史」の根源にあるとも感じられます。壊れは不完全性とも言い換えられますが、これは同時に「完全」なるものを求めようとする動機にもつながっているということではないでしょうか。哲学で「真理」なるものを追い求めてきましたが、これをここでいう完全性に読み替えることは可能でしょうね。
しかし、もっと一般的には、宗教と科学技術に現れていると思います。人間は、自然を改造してきましたが、これって自分の望みの世界を作ろうとする営みですね。でも例の弁証法ってものがどこまでも最終的な止揚に到達しないように、この営みもそれ自身では終了しないような気がします。まして個々人の寿命のうちには完成するわけがなく、そのため宗教を発明したんじゃないでしょうか。つまり、神のような至高存在を仮置きすることにより、少なくとも完全性への渇望を癒す効果(精神衛生と言っても言いかと思います)はあったでしょうね。
最近の研究では、農業の起源は宗教にあったとも考えられています。つまり、祭祀を行うために食糧の集積が必要になり、農業が生み出されたということなんです。ですから、宗教がいかに古い起源を持ち、人間の本性に根ざしているかがわかりますね。
もっとも、人間が動員できるエネルギーが高まるにつれ、自然改造の度合いは大きくなってきており、自分の理想とする世界に近づいているような幻想が部分的にせよ存在しています。養老孟司氏の言うところの「脳化社会」ですね。それにつれて、宗教の持つ役割が相対的に小さくなってきているのは事実でしょう。
しかし、結局のところ、「足るを知る」ようにならなければ、人間のこのような営みはきりがないでしょうね。しかし、それこそ難しいことのように思います。足らないことこそが人間の本性なんでしょうし、また好奇心なんかも捨てられるでしょうかね。少なくとも筆者には無理そうです。

というわけで、この小文、結論というものはないんですが、日経ビジネスの記事でこんなことを考えることができるとは思いませんでした。最近、日経ビジネスの記事が今一つ面白くないと感じていましたが、まだまだ捨てたものではありません。因みに編集者の後記(傍白)には、
「地球上に多くの生物が存在してきたが、生涯の半分しか働かないで生きていけるのは現代の人間だけである。この一言が強烈に頭に残っていたため、世代問題を霊長類の研究者に尋ねてみようと思い立ちました」
「『何にでも理由を求めること自体、人間の性なのですよ』と喝破する島先生の笑顔が印象的でした」
とあります。
現代の経済に携わる人々の迷いを感じますね。
また、かねがね思っていましたが、本当に役に立つのは一般教養であると改めて認識させられました。