製造業の本質

筆者、現在ある製造会社に奉職しております。販売は別な法人が担当しているため、ある意味製造業の本質に迫るような気分がしております。

一番感じるのは、製造現場の不安定性ですね。まず、設備は実によく故障します。一つ一つの機械では、それほどの故障率じゃないんでしょうが、それが大規模な集積になればなるほど、全体としての不安定性が増してきます。
同じように、仕入先からの原料や部品なんかも、どうしても不良品が混じります。
さらに、上流からのオーダーも日々上下します。こうした変化にも迅速に対応する必要があります。
同時に、携わる人の心も決して安定的ではありません。ミスはありますし、故意のサボタージュだってありえます。

問題は、このような不安定さに対応することをエキサイティングと感じ、やりがいとすることができるかどうかなんですね。不具合をいかに早期発見し、それを後工程に影響させないか。また、環境の変化にいかに対応するか。そして、その中で、いかにコストを下げていくか。これって、一種の自己修復システムなんだと思うんですよ。

特に、設備というもの、経年変化でどんどん故障しやすくなるんですが、逆に儲けはこのような減価償却が終わった時点から本格的に出てくるものなんですね。つまり、古い設備をいかに上手に使うか。これこそ、製造というシステムの出来不出来に関わってきます。

ポイントは、実は情報の取り扱い方にあります。つまり、内外の環境の変化をいち早く製造の営みに伝え、その行動を変化させるかということです。例えば、不良品が出始めた機械はすぐに止めなければなりません。それをいかにいちはやくキャッチするか。また、人間の恣意的な行動や迷いを無くすために作業を標準化すること。これは、作業観察を容易にすることでサボタージュの防止にもつながります。さらに、後工程の変化(オーダーの増減など)をいかに前工程に伝えるか。有名なかんばん方式もつまるところ、情報の伝達の方法なんですね。

こうしてみると、製造業って、モノへの興味とともにモノづくりというシステムへの興味が不可欠であることがよく分かります。これは同時に人間への興味でもあります。業態が大規模になればなるほど、そうでしょう。よく、人間疎外ということが言われ、とりわけ近代的な製造業はそのような面が強く現れる可能性がありますが、実はその本質は決して非人間的なものではなく、結構人間くさいものであると言えます。むしろ、人間疎外の危険性があるだけ、それとは対極的な方向に持っていくことが製造業の経営の一つの要諦であると感じます。