日本の公的存在について

突然何かと思うかもしれませんが、多少政治的書き込みです。
筆者、文芸春秋を送ってもらっているんですが、今年の5月号の特集が「美智子妃誕生」だったんです。受け取ったときは何とも思わなかったんですが、今になって書きたくなりました。

要するに、今の天皇家の最大のパフォーマーが美智子さんではないかということですね。

もともと、天皇家は公的存在であることをレーゾンデートルとしてきました。というか、「公」の淵源としての存在が最後のよりどころだったと思うんです。
「なぜ天皇家は続いたか」は日本史の最大のミステリーですが、筆者、詰まるところ中国との距離じゃないかと思っています。もしも、中国が権威を授与するだけの存在であれば、信長も徳川も天皇家なんかつぶして、中国皇帝から権威を受ければ良かったんです。丁度、朝鮮半島の諸王朝がそうしたように。実際、足利義満なんか、そのような方向に踏み出していたわけで、明から「日本国王」に任官されたあの時が天皇家最大の危機だったんですね。義満がもう少し長生きしていたら、その後の歴史は相当変わっていた可能性があります。しかし、結果として天皇家は続きました。やはり、中国皇帝の権威は日本人にとって、遠すぎたんでしょう。

しかし、天皇家はずっと公的な存在であったわけでもないと思うんですよ。例えば、院政期からの日本史の暗く陰惨な感じは、公的なものが無くなってただ単に欲望と欲望のぶつかり合いになった点に最大の原因があると考えています。それまでの政治は、確かに藤原氏に壟断されてはいましたが、それはあくまでも公的な存在としての天皇家の存在を前提としていました。彼らの権力だって、天皇家との姻戚関係の近さがその源泉となっていました。そういうゲームのルールだったんですね。
ところが、院政期以降は天皇家が権力の奪取に乗り出し、しかも非常に私的な行使の仕方をします。そこでは、もはや公的な存在であることをやめた姿があります。もちろん、その後も公的存在としての天皇と私的な権力行使者としての「治天の君」という使い分けは行いますが、公的な性格が大幅に弱くなったのは事実でしょう。

面白いことに、人間、やはり公的存在の長期の不在には耐えられないんですね。ですから、戦国期から徳川開府にかけ、だんだんに美意識、つまり何かに殉ずる気持ちが芽生えてくる。それとともに、天皇家の権威が上昇してくるんですね。これは何も、天皇家が変わったのではなく、周囲からのニーズによる天皇家の権威の回復だとは思いますが、とにかく、曲がりなりにも独占していた権威というものの希少性がここで発揮されたというわけですね。

ところで、現在の天皇家、申し訳ないですが、まず皇太子家は非常に私的な性格が強くなっているように思います。もちろん、皇太子さんその人が膨大な公務をこなしているのは承知の上ですが、雅子さんのこともあってどうしても公的な生活に徹しきれない印象がぬぐえません。因みに筆者、雅子さんのことも応援している立場です。というか、天皇家がその時々の日本の社会を映し出す鏡であるという意味からは、ご病気のことも実は正しくその機能を果たしている証左であるともいえると思います(今の天皇さんと美智子さんの「恋愛」なんかもそうでしたね)。
では、天皇ご夫妻ですが、天皇さんご自身は「堅実に家業を継いでいる」といった印象を持っています。もうこれは、ある意味避けられない運命で、それを従容として受け入れ、こなされているようにお見受けします。もっとも、昭和天皇没後の践祚の際、「日本国憲法を遵守し」と述べたことでその後の社会の安定にどれほど寄与したことか、計り知れないものがあるとは思います。しかし、やはり、なるべくしてなった方ですね、
それに対し、美智子さんの場合は、覚悟して天皇家に入った方ということになります。これは一種、「国士」的な行動だったんだと思います。その後の完璧ともいえる振る舞いからも、一層そのような威光を帯びていったということでしょうね。

そういう意味も含め、天皇家の存在と少なくとも最近のパフォーマンスは、日本人にとって非常にありがたかったと思うんですね。

ただ、先々を考えたとき、なぜ今美智子妃なのか、そしてこれから我々はどうすべきか、考え方の一つの大きな切り口であると強く感じます。