婚姻制から見る近世以前と明治以降の「背伸び」について

民俗学者赤松啓介氏などによると、日本人の社会は典型的な母系社会であるということになります。その典型が「夜這い」の習俗です。複数の男が女のもとに通い、妊娠した際には女性に父親を指名する権限があったということです。もちろん、その男が生物学的に本当の父親であるかどうかはわかりませんが、とにかく女子による指名を拒めなかった。こういう習俗では、とても父系とはいえないですね。
もちろん、庄屋層とか武士なんかはより父系的ではありますが、それでも母系の血筋による養子の例は枚挙にいとまがありません。
ヨーロッパの王朝では、母系の相続は王朝の交代を意味します。もちろん、血のつながりは正統性の根拠ではありますが、それでも「断絶」と捉えられています。
そうした日本社会では、「家」という概念は一種の希少性がありましたね。いわばあこがれであったわけです。

それが明治維新で、一挙に日本社会の「常識」になりました。「四民平等」という掛け声のもと、すべての日本人が武士イデオロギーで染め上げられたわけです。日本人は全員が「家」の成員になったわけです。これは極めてスムーズに移行しました。あこがれの対象だったわけですから、受容も主体的だったわけですね。

ちなみに、江戸末期から明治初期にかけて、奇妙な建築様式が流行しました。それは一種、お城とか武家屋敷のエピゴーネン(亜流)的な建築です。多分、これは江戸時代に禁じられていた建築様式を町人とか農民層がまねたもののようなんです。これも一種のおこがれの発露なんだと思います。

筆者の見るところ、明治期の日本って、文明開化というか近代西洋文明の受容という面とともに、武家文化の普及という面が強いように思うんですね。ですから、明治以降の軍人は出自の如何を問わず、自分たちを武士の末裔と捉えていました。

こうした「背伸び」は戦後も続いた、というかさらに促進されたようにも思います。「一億総中流」幻想なんで、その最たるものでしょう。皆が子供にピアノを買い与えるなんて現象もその産物のように感じられます。

でも、最近、そのテンションが大いに下がってきましたね。もちろん、経済的な厳しさという面もあるでしょうが、横並びへのこだわりは大幅に弱まってきたと思います。

特に、性風俗の変化なんか、江戸期以前への回帰とも見られるではないか。つまり、そもそもルーズであった日本社会の性へのイメージが露わになってきたと考えられるということです。明治以降の美意識からすると、実に嘆かわしいことであはありますが、「先祖がえり」と捉えれば、何ほどのこともないのかも知れません。

言いたいのは、そもそも、日本社会にはさまざまな習俗があり、それが明治以降武士文化で染められてきましたが、社会のテンションの低下とともにその無理が続けられなくなって、素の姿が露わになてきたのではないかということなんです。

よく言われる「日本の伝統」って、要するに武士的文化を指すことが多いんですが、そうした伝統の衰退を嘆くより、むしろ実際の姿を直視することで、今後の可能性が開けるような気がしています。