気が済む

筆者の思考パターンの一つに「気が済む」というのがあります。
いろいろなところに行ったり、試してみてがっかりするということがありますよね。でも、筆者、脳天気というか、がっかりしないんです。というのは、「気が済む」からです。筆者にとって、「未知」というものはフラストレーションのもとでして、何もかも知りたいという欲望が強いんですね。で、知ってみて大したことがなくても、「大したことがない」という実態を知ることで満足してしまうんです。我ながら、幸せな性分と思います。

実は企業にも、知ること自体を目的とする活動があります。研究開発なんかがそうですね。
筆者、人事屋として研究開発の人事にも関わったことがあるんですが、実際、この人たちの人事って難しいですよ。新人配属の際、本人たちの希望を取ると「研究」って製品設計や生産なんかに比べて非常に人気が高いんですが、いざ配属されると愕然とするんですね。というのは、研究テーマはしばしば長期スパンであり、かつ成功するとは限りません。で、もしその成功度合いで評価されるとすると、数年の努力が水の泡になる可能性があるんですね。ですから、彼らにインタビューすると、「できないことを証明したことも成果として認めて欲しい」なんて声が出てくるんです。
もとから研究所のような組織に就職する人と違い、一般の企業に就職する層はやはりサラリーマンであり、出世したいわけです。それが、長期スパンにわたるテーマを担当させられると、喜びとともに不安もまた大きい。ですから、会社として「気が済んだ」ことを成果として欲しいということになるんです。

まあ、この辺は「成果主義」の限界を如実に表わしているように思います。もちろん、その人の能力も大きく関与していますが、成果ってかなり巡りあわせの部分がありますので。そもそも、評価なんて完全はないですよね。また、人事考課はその人の全人格の評価ではなく、あくまで限られた部分での評価であると認識すべきと思います。ですから、会社に評価された人は、その人の能力が会社にフィットしているわけで、ますます会社に奉仕して欲しいですし、評価されない人は別な面での自己実現を目指すべきと考えます。

すっかり脱線してしまいましたが、こういう、いわば極端な例は制度の限界を知るためのテストケースになり得ますね。

話を元に戻すと、「気が済む」って概念、あなたの知的好奇心の度合いを測るいいツールだと思いますよ。