戦時中の娯楽・戦後の復興

第二次大戦は各国に深刻な打撃を与えたのは事実です。しかし、敗戦国にとって、その打撃がどのくらい長期にわたったのかについては注意が必要と思います。

ドイツについては、戦争も末期になるまで本国の生活水準は高いレベルで維持されたようです。何しろ、占領地から膨大な物資が流入しましたし、各地での要塞構築も基本的に労働力の挑発でまかなわれたようなんです。例の強制収容所なんかも、ジェノサイドの面とともに、労働コストの低減の効果が大きかったのではないかと思われます。ですから、本国ドイツ人にとっては、戦争の災禍はごく末期に限られた可能性があります。有名なバイロイト音楽祭も44年の秋にさえ開催されているんですね。
ですから、戦後ドイツの復興が早かったのも、その災禍がごく短期的なものであって、特にドイツ人のメンタリティにさほど深刻な打撃を与えなかったからと考えることができます。また、あまり考えたくないですが、ユダヤ人などから没収した膨大な財貨が戦後の復興に寄与した面は大きかった可能性は否定できません。

ひるがえって、我が日本ですが、長期にわたった日中戦争が国力を疲弊させていたのは事実でしょう。しかし、昭和17年の前半は戦勝気分で料亭が大繁盛だったようですし、その年の冬の新聞記事にはスキーで列車が混雑しているといった記述もあります。
もちろん、18年秋には学徒出陣の壮行会が行われ、一挙に戦時職が強くなってきます。日本に関しては、19年夏のマリアナ諸島陥落後、本土空襲が激しくなり、また、日本軍の戦死者の半分が最後の1年に集中するなど、末期の状況は目を覆うものがあります。

しかし、これとて終戦まで1年程度の事態ともいえます。筆者、もちろんリアルタイムで体験したわけではありませんが、深刻な災禍が比較的短期的なものであったため、戦前からの連続性を断ち切ることがなかったといえるのではないかと思えるんです。そして、そうした精神的な打撃が軽微であったため、戦後の復興がスムーズだったように感じるんです。

しかし。
実際問題として、ドイツも日本もある世代の有為の人材を大量に失ったのは事実です。そしてその負い目が噴出したのが60年代の学園紛争であったと言えるのではないかと思うんですね。1958年生まれの筆者からすると、当時の学生って親からちゃんとしつけがされていないような感じがしましたし(要するに親が自信喪失していた)、教授の方でも生き残ったことに対する負い目を感じていたんじゃないかと思えるんです。

筆者のようなポスト団塊を「ゴジラ世代」(1954年の「ゴジラ」以降の意か)と言うそうで、団塊が散らかした後始末をする役回りらしいですね。まあ、それに対しては大いにやりがいを感じますが、そのためにはあの戦争を正しく認識する必要があると感じています。特に、語り部が健在なうちに。