職人道が日本を救う?

風観羽さんの社畜批判には、改めて同感するところ大でした、

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伝統的な日本企業の雰囲気がまるで江戸時代の下級武士のそれと重なると言う指摘はまさにそのとおりと言える部分があります。しかし、ことはそれほど単純じゃないんじゃないとも思えます。

以前ですが、筆者、今は同志社大学におられる太田肇教授の「組織尊重の組織論」に衝撃を受けました。氏の曰く、なぜ日本の会社では年休の取得率が低く、残業が多いのか、それは各メンバーがある種の演技をしているからだと言うんですね。つまり、日本の会社では評価基準がはっきりせず、各人が「自分は精一杯やっている」とパフォーマンスをすることが合理的行動である。で、年休を取らず、残業を多くすることでそれ以上の負荷を与えられず、また評価も高くすうrことがかのうであるというんですね。確かに、考課調整で、「彼は遅くまで頑張っている」とはしばしば聞かれる会話です。本当は残業が多いのは無能の証拠である可能性が大なんですが、そうはならない。

しかし、同時に、「遅くまで頑張る」というのは、別な意味でのパフォーマンスであると考えています、

筆者、かねて書いているように、明治期以降の日本を武士道の普及期と捉えています。一つは、武士階級以外にあった、武士の価値観への憧れですね。経済的には必ずしも優位にあったわけではないですが、そのステイタスはなお高く、幕末から明治期にかけて、擬似武家様式の建築がはやったのはその証左と考えます。また、武士的な滅私奉公価値観は、明治以降の体制にとって、全国民を武装化するのに格好のイデオロギーだったわけですね。

ちなみに、現在は東大におられる上野千鶴子女史の「近代家族の成立と終焉」では、日本とイタリアの面白い比較がされています。イタリアのステロタイプでは、もし息子が罪を犯したら、家族の恥として家長が罰、しばしば殺しを行います。それに対して、日本の家族では、官憲に引き渡す。つまり、イタリアの場合、家族で閉じているのに対し、日本の近代家族は国家の末端組織ということです。ちなみに、アメリカの家族はしばしば一種の地獄とも評されます。アメリカ人の価値観では、個人個人が自我を持つべきとされていますが、家族についてもしかりで、自我を持つメンバー同士の関わりということで、個々人は最終的に甘えることが出来るのは神のみということになります。もちろん、個々の家族ではいろいろなパターンがあるでしょうが、原理的にはそういうことになります。この辺は、教会組織を重んじるカトリックと、最終的に個人と神に帰着するプロテスタントの違いがありそうですが。

こう考えると、武士的イデオロギーが日本を覆ったように感じるかもしれませんが、その浸透はやはり表面的なものだったように思うんですね。
古屋安雄氏の「なぜ日本にキリスト教が広まらないのか」という本によれば、日本におけるキリスト教の浸透が不振なのは、明治期にキリスト教(特にプロテスタント)を受容したのが武士階級であったことにあるとのことです。つまり、一般庶民にとっては武士が受容したことによって敷居が高くなったということらしいんですね(この辺、筆者、孫引き状態ですので次回帰国時に原典に当たろうと思っています)。筆者の解釈では、武士のストイックさとキリスト教の間には結構親和性があったが、日本人一般ではそれほどではなかったということになります。

こう考えると、何か合点がいきます。つまり、表面上、日本人は武士的な滅私奉公を演じてはいますが、その実、その方法論は極めてムラというか農村的な、まわりを気にすること貫かれているのではないかと。だって、武士的イデオロギーはもともと個人の美学にかかわるもので、周囲への演技なんてそれに反するはずですから。ま、一種の村芝居みたいなものでしょうかね。

考えてみれば、明治期の軍部はそれでも旧武士階級が指導していたものの、昭和に入って一挙に内向きになるような気がします。国民の大多数を占めたムラ的なものが吹き出てきたと思えませんか。武士的なイデオロギーをまといながら。

こうした建前と本質の違いは、現在の日本の各組織に宿阿として見られるように感じます。例えば、キャリア官僚が1〜2年で各組織を渡り歩くなんて、内向きの統治を優先しているとしか思えません。専門性の育成よりも、村長(むらおさ)としてのステイタスの創生を狙っている以外の目的があるでしょうか。

問題は、こうしたエリート養成、あるいは処遇の方法論は、エキスパートの育成を阻むことでしょう。本来、例えばファンドマネージャーとか経営層って、一種の職人なんんですが、そういうニーズに応えられなくなっている。悪いけど官僚上がりの人には経営能力がない方もかなりおられるようですし。

ここで思うのは、日本には本来、以上とは別の伝統、つまり職人道とか商人道があるんですよ。しかも、これって、日本人の心性に非常にフィットしているように思うんですね。ですから、「経営」をもっと職人的なものとして捉え、こういう層をもっと専門的に育成する方向を模索すべきと思うんですがね。