男性の女性観について

こういう題名を見ると、何かジェンダー論かなんかかと思われるかもしれませんが、もっと卑近な話です。

大学に入って気がついたんですが、女性に対する態度がそれまでの生活史に相当左右されているようですね。筆者の勝手なイメージでは、共学の高校の出身者が割に自然体であるのに対し、男子校出身者には女たらしと奥手の両方が結構いたような気がします。でも、女たらしも奥手も、女性を特別視しているのには変わりないですよね。
いや、別に特別視が一概に悪いといっているわけではありません。特別視しなくなると、出生率が下がるかもしれません。なにより、生物としての本能ですから。昔、菊田一夫が、若い新婚のスタッフが毎朝ぐったりして出社してくるのを見て、「ばか、いつまで珍しがってるんだ!」と怒鳴ったらしいですが、そう言われてもねぇ。

しかし、中にはちょっとどうかという人もいましてね。筆者の知り合いにも、妻帯者ながら女性に貢いだり出張のたびに遊びまくる人がいますが、筆者にはどうも理解の外です。本人曰く、昔はまじめだったけど、仕事上の付き合いでこのような世界を知ってしまって・・・ということらしいですが。

もちろん、筆者も男のはしくれとして関心がないわけじゃないですが、この種の人にはどうも何らかのコンプレックス(劣等感じゃないですよ)を感じますね。ある映画のせりふに、「女たらしには二つのタイプがある。女性に対する憧れが高じたカサノヴァ型と女性に対する復讐心からのドン・ファン型とだ」といったようなものがありましたが、真偽のほどはわからないものの、ありそうな話ではあります。

ま、ほんとは「女性」一般ではなく、「個人」への関心であるべきかもしれません。「べき論」で語るのはおかしいかもしれませんが、少なくとも、均等法以降の精神は、相手を性別のような属性ではなく、まず個人として見るべきということであると思います。しかし、「女たらしも個人としての発露だ」と開き直られるとちょっと困ってしまいますがね。