国の底力〜きょうの料理とスタジオミュージシャン

最近、「冨田勲NHKテーマ音楽集」というCDを愛聴しています。新日本紀行とか現代の映像とか、懐かしいテーマが多く収録されているんですが、何といっても秀逸なのは、「きょうの料理」のそれですね。料理番組のテーマ曲としては、「キューピー3分クッキング」と双璧と思いますが、NHKの方は特に木琴のやわらかい響きが何とも言えません。
付属の解説書によると、作曲者の冨田勲氏はてんぷらの油のはじける様をイメージしたそうですが、ともかく楽しげな音楽ですね。
面白いことに、この曲、急遽作ることが決まり、冨田氏を呼び止めて廊下のソファの上で作曲してもらったという急造作なんですね。しかも、その時にNHKに居合わせたスタジオミュージシャンをかき集めて録音したんだとか。筆者、その版がずっと使われたのかどうかは知りませんが、ずっと後のニューバージョンも収録されていますから、多分そうなんでしょう。しかし、今聞いてもとても急にかき集められたという演奏の質じゃないですね。特に、木琴は。

同じような話は、数年前に亡くなった知日派の一人、フランク・ギブニー氏がその著書「人は城、人は石垣」で書いています。彼はある日、テレビの音楽番組のスタジオリハーサルを見学したときに、どうやってスタッフが音楽の進行を知って対応するのかと聞いたときの答えが、「いや、ここのスタッフは全員楽譜が読めるので問題ないんです」であったことを驚きをもって記しています。筆者にはしごく当然に思えたんですが、どうも世界的に見ても日本の音楽教育って、ある部分では突出しているようですね(特に知識面で)。

実はこういうところに国の底力って出るんじゃないかと思っているんです。

最近、来日したある海外のVIPが日本衰退論を聞いて信じられないという表情をしたそうな。彼曰く、だって町はきれいだし、治安はいいし、メシはうまいし、サッカーだって結構強いじゃないか、と。筆者には、最後の「サッカー」が変に印象に残っていましてね。国力って、GDPとかカネの力だけじゃなく、こうした部分にも力が割けるのかという、余裕しろというか成熟度が大きいのではないか。少なくとも、尊敬を受けるためには不可欠ではないかと思えます。こうした面を大事にしたいものです。